塩沢由典公式HP

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コロナ禍で巣ごもり生活、6年近く更新停止となっていた「公式HP」を再開することにしました。2020年7月10日。
短信・雑録を2021年11月から始めました。


まずは、 著書紹介 をご覧ください。新刊の書評・反響などを紹介しています。

さいきん書いた論文などに関する情報は、こちら をご覧ください。論文の意義や反響などについても載せていきます。

2020年までのサイトに御用のあるかたは、こちら をご覧ください。

  • 短信・雑感

    2024年

    2024年3月
  • 2024.4.8 昨夜は東京都内にもめずらしく雪が降り、朝起きたら結構な雪景色だった。

    Holthamへの返事が公開されたが、引用部分が地の文と区別できなくなってしまっていた。仕方ないので、部分的な訂正の投稿をし、続編も投稿する。

    Lars Syllの投稿The problem with economics — too much maths, too little history(February 27, 2024)に gary Holthamがなかなか良い論評(March 2, 2024)をあげている。Syllの投稿は、例の数学排撃論を含むもので、コメントする気にもならなかったが、HolthamのコメントはH.A. Simonに関するもの。Holtham応援も含め、Syllに対する具体的な反論の機会にもなるので、一文を投稿した。

  • 2024.3.7 Ettore Galleへの返答にGary Holthamがコメントしてくれた。この水準の議論はRWER Blogではなかなかおめにかかれない。ゆっくり返答しようと思って書いていたら、長くなり途中で退場。To be continuedと書くべきところもまちがえてしまった。

  • 2024.3.6 私の書評に対するEttore Galleのコメントに返答を書いた。特に新しい主張ではないが、備忘録としてここにも載せておく。

  • 2024.3.1 日当たり具合によるのだろうが、もうコブシの花が咲きそうになっている木を見つけた。桜も見ごろの家を見つけた。河津桜だろう。

    ResearchGateにHeterodox Developmentという質問を載せた人物がいる。これだけだと質問とは言えないが、異端派経済学の経済発展理論とはどんなものかといった質問だろう。2月20日に投稿されて、すぐに一回回答を投稿(2月21日)して、そのあと質問者のTofigh Hosseinzadehから私あての質問/疑問が寄せられていたので、今日、回答する。2ページ目の第3投稿と第4投稿。ある程度うまく書けたと思うが、さて質問者からはどんな反応ができるだろうか。



    2024年2月

  • 2024.2.29 閏年の2月もついに終わってしまった。1月20日からの一ヶ月は体調も問題もあり、無理もできなかったが、体調が回復しても、論文執筆はほとんど進まなかった。ClowerからNon-Walrasian General Equilibrium (いわゆるrationingを中核に考えたグループ)がなぜ衰微してしまったかについては、淡い光は見えてきたが、なかなか「だから」というところまではいかなかった。3月に入っても、今の論文を書き続けるしか仕方ないだろう。
    GalloとGoésの書評に対する書評者の一人Galloの反応が投稿された。(投稿してから、公開まで2日かかっている。)

  • 2024.2.28 AlmudiとFatas-VillafrancaのグループのJEE2020年の論文Pricing routines and industrial dynamicsにコメントを投稿したら、Fatas-VillafrancaとAlmudiが別々にコメントを投書してきた。二人とも、好意的。本当に協力関係が進展して行けば良いのだが。

  • 2024.2.27 GalloとGoésの書評に、やや宣伝の入った付録を投稿する。

  • 2024.2.24 私の論文Some supplementary explanations on Microfoundations (EIER 20:329-365) にResearchGateでコメントを求めていたらHubert Garbisch (WIIW)からメールがきた。忙しくて論文を読んでコメントする時間は取れないが、Roland Schettat のBehavioral Economics of John Maynard Keynesの考えに賛成だとして、 第1章のPDFがつけられていた。Da Silvaの議論とは異なるが、ケインズの経済学は2/3はミクロ経済学で、それらはケインズが経験から汲み取ったものだが、それらは行動経済学で基礎付けられるという趣旨のもの。Da Silvaとのダブル・パンチ。とにかく本を注文して読んでみることにした。

  • 2024.2.23 ResearchGateでSergio Da Silvaの論文 Does Macroeconomics Needs Microeconomic Foundations? という論文を偶然見つけた。行動経済学ですでに新古典派に変わるmicroeconomicsができているから、別にmicrofoundationsはいらないという論調。おやおやというので、反論を書く。

  • 2024.2.22 ResearchGateでEttore GalloとMaria Cristina Barbieri Góesによる書評を見つけた。Echkard HeinのMacroeconomics afer Kalecki and Keynes (2023)を中心とするものだが、ほか4冊の本(Blecker and Setterfield (2019)とMarc Lavoieの教科書(?)の初版と第2版およびHeinの2014年の本)にも言及している。Kalecki派およびMarianの「教科書」の現状としては貴重なものだ。主眼の原稿が進まないのに余分なことに手を出して、書評(書評の書評でもある?)にまとめ、Real-World Economics Blogの私の書評(KomlosのFoundations of Real-World Economics)にコメントの一つとして投稿した。6000語を超えて、Komlosの書評の2倍以上の分量になってしまった。Kalckianの(マクロ)経済学については色々言いたいことがあるが、細かいところを除けばこんなところか。

  • 2024.2.20 ミモザの木が満開だった。

  • 2024.2.16 この二日ほど春を思わせる暖かさ。梅の花も、満開というべきか。ただ、桜ほどの華やかさがない。Lars Syllの乱暴な投稿、3日は無視していたが、何も言わないのも癪と投稿。

  • 2024.2.13 相変わらずRWER Blogへのコメント。Ping ChenがRWER #106にBiophysical limit and metabolic growth: New understanding of modern division of labor and sustainable economiesを発表していて、RWER Blogにはその第4節 Economic Complexity vs. Neoclassical Simplicity がほとんどそのまま載っている。なぜかこの間、Complexity (複雑さ/複雑系)について関心が高いのは良いことだが、複雑系が科学の話題に入るようになった1980年代からすでに40年以上経つつというのに、複雑さに関する議論の深まりはあまりないというべきかもしれない。Alan Kirmanのような人たちばかりでないと言って仕舞えばしれまでだが、すこし地優位が必要ではないだろうか。そんな気持ちで、Pin Chen, Lars Syll, Asad Zamanへのいささかの苦言を込めてコントを書いた。

  • 2024.2.11 Lars SyllのRWER Blogへの投稿Mainstream economics — an explanatory disasterにghholthamが「均衡」という枠組みについてなかなか良いコメントをしている(February 9, 2024 at 2:36 am)。均衡を考え、人々がそれを前提に行動すると考えるのだが、それは順序を逆転させた思考だという。これは、Alain Kirmanが均衡論について述べている考えと軌を一にしたものなので、Kirmanからの長い引用を投稿する。

  • 2024.2.9 Asad ZamanのLessons from monetary history: The quality-quantity pendulum にコメントを投稿。理論と歴史とを対立させて、歴史に学べという単純な議論に対する異論。それほど新しいことがわかるわけでもないのに、時間だけは大幅にかかる。あまりやりたくないが、始めた以上、続けなければなるまい。
    追記: 上記のコメントにZamanが反応してきたので、追加のコメントを加えた。どういう風の吹き回しか、Zamanは前項ではあれだけ歴史に学ぶことを強調していたのに、次回のNominal Versus Real Modelsでは、一転して(?)Agent-based modelsであたかも複雑さ、不確実性、貨幣の非中立性が捉えられるかの議論をしている。Computer simulationが科学的研究の第三の方法になるかもしれないとは、私も古くから指摘してきたことで、その可能性については大いに認めるが、現状ではZamanの主張は、誤りでなければ誇大広告であろう。(2024.2.10)
    ZamaのABMsについての主張に対し、U-MARTを15年近くやってきた経験から、いささかの懸念/疑問を提起する。さらに、最近のMaria Alexandra Madiの抜粋紹介に関係して、複雑さへの関心との関係でLars Syllの すこし古い投稿での主張とZamanのABMsに関する楽観的な主張との「矛盾」を指摘する。(2024.2.11)

  • 2024.2.8 Luca Zambarelliという人がResearchGateに Technical Change in Alternative Theories of Growthという論文予稿を載せている。異端派成長理論の比較・紹介だというのだが、Kaldorの1961年の論文 Capital Accumulation and Economic Growthの定型的事実に沿った「balanced growth」のみを扱っている。それしか扱えなかったというなら仕方がないが、それは2019年以降の異端派理論の状況を反映するものではない。自画自賛なることをあえて辞さず、反論のコメントを書いた。Commentsの最初の投稿をみてほしい。

  • 2024.2.6 RWER Blogで、Asad Zamanが Basics of Monetary Economies という表題で貨幣経済に関する新しい「教科書」を書くと宣言し、その原稿を掲載するのでコメントを募っている。Zamanはアメリカで教育を受けたが、自覚としては反主流派である。イスラムの立場に立ったかなり癖の強い主張をするのであまり高く評価していない(イスラムの立場からの経済学そのものに反対なわけではないが、学説史としてどの程度の客観性があるのか疑問だ)。しかし、RWER Blogのにおいてはよい討論の機会になるかもしれないので、できる限り付き合うとことにした。第1回寄稿(February 1, 2024)に対する私のコメントがこれ。RWER Blogは、しばらく経つと辿りにくくなるので、投稿のたびにこの日録に掲示することにする。
    あえてコメントを続けようと思う原因のひとつに、RWER Blogに投稿する投稿者の水準が低すぎることがある。前にも書いたかもしれないが、Geoffrey Hodgsonが Is There A Future for Heterodox Economics? (2019)が品質管理の問題(Problem of quality control pp.151-153)として取り上げていた問題がRWER Blogには如実に現れている。実名を出して悪いが、私と一緒にコメントしているenergyasnumeraireは、環境問題を考えるには、貨幣以外のニュメレールが必要だと主張している。しかし、彼が経済学の初歩的知識を持っているとはとても思えない。にもかかわらず、物理的ニュメレールの導入によりすべてが解決するかに思い込んでいる。こうした人たちには反省してもらわなければならないのだが、さてどうしたら良いのか。まともな議論が通ずる相手ではないので、本人が気づくようもって いく以外にないのだが、それがきわめてむずかしい。

  • 2024.2.5 今年の国際ワルラス学会が明治大学で開かれる。最初は出ないつもりだったが、よく考えると良い機会かもしれないと応募することにした。タイトルにも苦労したが、思い切ってThe end of Walrasian paradigm? とした。プログラム委員会の反応はどういうものになろうか。今年参加されるかどうかわからないが、Alan Kirmanもプログラム委員のひとりのようだ。彼に聞いてもらえるだけで十分だろう。

  • 2024.2.3 先月20日からまる二週間。症状はほとんど治ったが、なぜかなかなかやる気が出てこない。

    2024年1月

  • 2024.1.31 一月もついに終わり。予定していた論文はこの10日間、まったく進まず。

  • 2024.1.30 インプラント修理で学芸大へ。帰りは、目黒駅まで歩く程度の元気は取り戻せたようだ。

  • 2024.1.29 なんとか調子が戻ってきた。金融経済研究会のWEB会議に参加。

  • 2024.1.28 論文作成には到底取り掛かれないが、なんとか気晴らしに、HartwigのD and Z in Rope - Will the Real Keynes Please Stand Up?という論文(ResearchGate掲載)にコメントを書く。これはすこし表題を変えてROPE(The Review of Political Economy) 23(4), 613-618に載っている。

  • 2024.1.26 ついに我慢できず、かかりつけの高橋内科医院で抗生剤5日分をもらってくる。風邪だと効かないが、副次的な炎症には効くとのこと。

  • 2024.1.23 定例の歯のクリーニングに行くので精一杯。

  • 2024.1.22 20日からひどかった鼻水がますますひどくなり、どうも本格的に風邪をひきたようだ。

  • 2024.1.21 昨夜のマッコリがたたったのか、一日中、ぼんやり寝てばかり。まあ、良い休日になったと考えることにしよう。
  • 2024.1.20 高木さん・倉橋さんと3人で研究会。MyLord9階のHudsonで、混んでいて騒がし かったが、高木さんががんばってくれた。テーマは、日本の「近世」。夜は、代々木の「ほぼ新宿」をうろついて、韓国風焼肉店に入った。

  • 2024.1.18 右下のインプラントが不具合となり、元の歯医者に行ったら、新しいものに換えないと治らないと言われた。大金の出費になりそう。

  • 2024.1.17 阪神・淡路大震災から29年。今回の能登大地震での被災地救援に、あのときの経験が幾らかでも生きているのはありがたい。ヴォランティアへ自主的に登録する人たちがかなりいるようだが、阪神大地震のときには、多くの人に取って初めて聞く言葉だった。

  • 2024.1.13 Steve KeenのRWER #106への寄稿Putting energy back into economicsコメントを掲載。約5ぺーじ、2000語。この種の投稿としては長編になったが、議論の内容からしてしかたない。KeenにはDebunking Economics以来、尊敬している。しし、ロシアからの天然ガスの輸入途絶を題材に、集計的生産関数を構築しようとする意図には賛成できない。例え結果として主張されているものがLeontiefタイプの「生産関数」であれ、こうした概念自体に問題がある。それがうまく読者に伝われば良いのだが。

    午後になり、雨上がりと思い散歩に出かけたが、途中で小雨模様となり、冷たい横風も吹いて、凍えるようだった。能登では雪が積もっているとか。被災地の大変さが心に沁みる。

  • 2024.1.10 中岡哲郎先生のお葬式に夫婦で京都まで往復。京王線蘆花公園駅を朝5時59分の電車にのり、帰宅したのは午後8時半近く。お葬式は、完全無宗教で、中岡先生の考えに沿ったとはいえ、よくここまで徹底できたと感心。色々な方にお会いすることはできたが、話をする機会がなく別れた人が多かった。

  • 2024.1.9 能登の大地震と津波の概要がようやく掴めてきた。大津波警報が出たにも関わらず、津波の被害が数日伝えられず、また空振りにおわったのかと心配していた(あまり空振りが続くと、無警報自体への信頼度が落ちてしまう)。最近わかってきたことは、津波は確かに能登沿岸部を襲い、船や乗用車などが流されていたのだが、津波を被ったためか、それとも通信線の破断のためか、津波観察装置の多くが機能せず、津波被害の第一報が遅れた、という事態だ。

  • 2024.1.8 Real-World Economics Review Blogの書評の関連で、Lars Syllの投稿Economics—enslaved by the wrong theory (November 24, 2019)にコメントしたことがある。David Sloan Wilsonを引用して、新古典派経済学を全体として取り替える必要があるという主張に(わたしとしては珍しく)賛同して、取り替えるべき経済学像はすでに大枠用意されていると趣旨のものだった(November 25, 2019 at 2:02投稿)。4本の柱の最初に自分たちの本を挙げて、これがその概要だと主張した大胆な(言ってみれば自分勝手な)ものだったが、当然のように何の反響もなかった。しかし、あれからすでに丸4年経っている。

    現状がどうなっているか報告する意味で、SMTへの反響、マクロ経済学、進化経済学、経済史のそれぞれについて2004年のコメントを挙げておいた。関心のある方に参考にしてもらえればありがたい。2019年の投稿は、このReplyのすぐ上にある。

  • 2024.1.7 10日に京都へ往復する事情ができたため、切符を買いに新宿へ。ついでに、20日の勉強会の会場探しに、代々木駅界隈まで。意外に面白いところがありそうだ。

  • 2024.1.6 正月気分も抜けて、RWER Blogの私の書評にコメントを二つ載せる。一つはこちらA supplementary book for Komlos (2023)。Komlos (2023)の倫理重視について、David Sloan Wilsonの観点を加えれば、もっと「科学的」(理論的?)な議論ができるのではないかというのが趣旨。

  • 2024.1.5 能登の大地震は、いまだ交通途絶で孤立した地域がある。ようやく被害の概要が見えてきた。死者は確認されたもので約100人、いまだ連絡が取れない人が200以上いる。

  • 2024.1.4 箱根駅伝は、前評判がよく期待していたが、蓋を開けてみると、往路・復路とも13位。解説を読むと、年末の合宿で選手の数人が風邪を引き、本調子が出ないまま出場したのだという。かつてシード校から転落したときも、寒いのに保温対策が十分でなかったという。出る前に不振が決まっていたとは情けない。

  • 2024.1.3 子供達3家族とホテルで会食。昨年、傘寿と喜寿のお祝いをしてくれたことに対するん例の意味も。ただし、次男は風邪を引いて欠席。今日、年賀状代わりのE-mailを各氏に送る。約100名。

  • 2024.1.2 能登半島の地震では、電力・通信・交通が途絶。被害状況もよくわからない。今日も散歩から帰ってTVを付けると日航機と海上保安庁の輸送機とが滑走路上で衝突、炎上。日航機が火を吹いて燃え上がるのが放映されたが、脱出状況は見えず心配したが、乗客・乗員379人全員が無事脱出とのこと、奇跡的というほかない。

  • 2024.1.1 娘の愛犬のIsaacを連れて粕谷神社に初詣。帰ってきてTVをつけるとまもなく、能登で震度7、マグニチュード7.6の地震。大津波警報も出た。

    2023年12月
  • 2023.12.31 娘が愛犬と来訪。一緒に紅白歌合戦を観る。Caudal mechanismの関係でDavid Sloan Wilsonの『社会はどう進化するのか』を読み直している。

  • 2023.12.29 この一週間以上、RWER Blogへの投稿のほかは、causal mechanism論について色々のへ論文を読んでいる。論文執筆の方はまったく進んでいない。Googleから一週間のレポートというものが来たので読んでみたら、WEBにつながって読んでいる時間が67%、絶対時間が一日平均8時間12分とあり、ギャフン。おかげで、mechanicalな(因果的)説明とmechanismicな説明との違いが分かってきた。経済学には、どちらというより両方が必要なのだろう。

  • 2023.12.26 Komlos書評へのコメントは、きわめてまばら。クリスマスと重なって欧米の人たちにはなかなか時間が取れないのだろう。書評という形式なので、コメントにも書評された本の知識が必要と思うのかもしれない。その必要はないという提案を書いたのだが、あまり効き目がない。

  • 2023.12.24 クリスマス・イブだが静子が忙しくて、何もせず。

  • 2023.12.23 Real-World Economics Review#106がでて、RWER Blogに紹介されている。How can we construct an economics consistent with the biophysical limits to economic growth?という難しいテーマの特集で、近く紙の本になるらしい。編者の一人のJamie MorganがAgainst the clock: Economics 101 and the concept of timeという論文を書いている。これについて、先の書評へのコメントを書く。

  • 2023.12.22 Causal mechanismについていろいろ文献があり、全体像を見渡すのが大変そう。

  • 2023.12.20 藤本さんと二人で、菅野朋則さんの構想を聞く。本当は為替レートの高頻度理論に繋がれば良いのだが、そこまではなかなか難しそう。しかし、すごい若手が現れたものだ。夜は藤本さんと二人で、本郷近くの焼肉店へ。昔、このあたりに住んでいて懐かしいのだとか。

  • 2023.12.19 ながいあいだひとつしかコメントがつかず心配したが、Dave Marseyが3つのコメントを付けてくれて、ようやく形がついてきた。Dave Marseyは、中心がKeynesのTreatise on Probabilityなので、なかなか答えづらいが、答えられるところはなるべく丁寧にコメントしておいた。

  • 2023.12.17 元氣がきて、ネット関連の接続をやってくれる。Komlosの書評には、ひとつコメントがついた。
    SMT(2019)の方法論的な特徴を表す言葉にCausal mechanismがあるだろう。ところが、この考え方は、経済学で注目されていないだけで、社会科学を含む科学哲学方面では、この20年ほど新たに注目されている考え方のようだ。今日は、Petri Ylikoskiの論文をいくつか読んでいたが、Stanford Encyclopedia of PhilosophyにMechanisms in Scienceと言う項目でthe new mechanical philisophy(あるいは短くthe new mechanism)と言う考え方が今世紀になって盛になってきていると 解説されていた。

  • 2023.12.16 独占研究会。小幡道昭氏報告。国分寺にいくのに、新宿まわりが時間的には一番早いようだ。

  • 2023.12.14 Komlosの書評が掲載された。今の所、なんのコメントもないが、これからどんな反応が出るだろう。

  • 2023.12.13 Komlos (2022)のRWER Blog向けの原稿を完成させ、Edward Fullbrookに送る。この2〜3日、Fullbrook編のOntology and Economics/Tawny Lawson and His Criticsを広い読みしていた。Critical Realism in Economicsの問題や可能性を知るには、こちらの方がよくわかる面がある。実例が豊富だからであろう。

  • 2023.12.11 金融経済研究会。3時に始まって、8時まで。議論が活発だったとは言えないが、脱線につぐ脱線で話がもりあがったことは確か。

  • 2023.12.10 経済学者の研究方向に影響するものに、理論自体の正誤・妥当性や方法論の前に、理論に対する態度のようなものがあるかもしれない。

  • 2023.12.9 黒瀬氏論文に対する反論を書き始めた。

  • 2023.12.8 ようやく黒瀬氏の「批評」に応える作業に入れそうだ。

  • 2023.12.7 Garry Holthamに推薦されたKatarina Juseliusの自伝的論文Searching for a Theory That Fits the Data: A Personal Research Odysseyを読む。自伝的研究史なので、cointegrationの初歩的な概念しか知らない私にも、だいたい理解できた。

  • 2023.12.6 Komlos書評の概要がようやくできた。大満足とはいえないが、interactiveなものにするには、自分自身の書評に不満があっても良いだろう。掲載されてどんな反応ができるか、どう発展するか。

  • 2023.12.5 Komlosの本にはいろいろ不満はあるし、言いたいこともある。しかし、2000語か3000語の中に自分の言いたいことをまとめるのは至難の技だ。もう何日も、ほとんど進歩ないまま、日にちが過ぎていく。

  • 2023.12.1 Komlosの本の書評をようやく書き始める。長くできない中で、言いたいことをまとめるのはひどく難しい。しかし、2000語は超えないようにしたい。


    2023年11月
  • 2023.11.30 今年の短月もきょうで終わり。Komlosの本の書評のために、Bowles and Carlin (2020) What Students Learn in Economics 101: Time for Change. Journal of Economic Literature 58(1):, 176-214を読む。昨日読んでいた、Komlosの Half a Paradigm Shift in the Journal of Economic Literature is Quite a Game Changer for Econon 101 (draft) はこれに対する対論。これにMankiewのPrinciples of Economics を加えると、Econ 101 (経済学入門)の3極構造ができるのだという。もちろん、売れ行きからいえばMankiewが圧倒的に多いのだろうが、BowlesやCarlinたちの本がWEB上のopen sourceであることや、Komlosの本がすでに3版を数えていることからも、けっこうがんばっているらしい。これは嬉しいことだが、主流派に代わりうる経済学というと、COREも、Komlosもとうてい革命的とはいえない。もちろん、経済学の根底的な革新が教科書から始まるわけではないから、これは当然といえば当然なのだが。さて、わたしの書評はどうまとめたら良いか。

  • 2023.11.29 11月も明日一日というのに、やるべきことに手がつかないまま、日にちだけが過ぎていく。

  • 2023.11.28 今日は久しぶりに暖かく、(井の頭線)高井戸駅まで遠征。こちらも何ヶ月ぶりかに散髪。

  • 2023.11.27 金融経済研究会。北原徹氏の「債務貨幣ろん」。この研究会は、私が中央大学を定年退職した後、勉強会を兼ねて立ち上げたものだが、コロナ禍で対面の研究会ができなくなり、一部の有志がZOOMを使って継続してきたもの。私は、今日、初めて参加。今回がオンライン第26回目という。

  • 2023.11.23 Komlosのいう「人間の顔をして資本主義」は、いろいろな政治思想と結びつきそうだ。社会民社主義もひその一つだが、新大統領誕生で注目されているArgentinaのPeronismとはどんな関係を持つだろうか。そんなことが気になってきた。

  • 2023.11.22 炭谷英一氏と大坂洋氏とに教えてもらって、消費者教育の概要を勉強。

  • 2023.11.21 Komlosの本をざっと読んでいる。新古典派の「政策的含意」に関する批判は鋭い。トランプのような大統領を生み出さないようするのは、経済学教育の役割だというのも理解できる。しかし、彼の批判は消費者教育として必要なものであって、経済学そのものの変革にはなっていないのではないか。先に「政策含意」に「」をつけたのも、Komlosのいうように新古典派経済学に必然的に備わるものかというと、多少の割引が必要だろう。たしかに、経済学入門(Economics 101)の内容には、経済学部で経済学を学ぶ以外の消費者教育あるいは市民教育の側面もあるだろう。しかし、それでは経済学の根本的改革(建てなおし)というわけにはいかない。この感覚がただしいかどうか、消費者教育の概要と現状とを知る必要がある。

  • 2023.11.20 Real-World Economics Blogに異端派が相互に批判を交わしながら、考えの違いを超えてインフォームし合えるような場が必要で、そのもっとも簡単な方法が書評のシリーズを組織することだと書いていたら、Blogの編集者のEdward Fulbrookが取り上げてくれた。手始めに、Kolmosの本の書評をおまえが書けということになった。

    ツワブキの花が咲いて冬らしくなってきた。イチョウの葉はまだ青い。

  • 2023.11.19 夕方、KomlosのFoundations of Real-World Economicsが着いた。民主的社会を維持するために経済学はいかにあるべきかなど、考えなければならない論点がいくつもあるが、肝心の経済理論本体(あるいは核)についてはほとんど考えられていない。その代表が限界費用曲線の使用だろう。市場は完全競争ではないと強調しつつも、ほとんどの市場は寡占的であるとして済ませているようだ。

  • 2023.11.18 John KomlosのFoundations of Real-World EconomicsをAmzon.jpで注文。明日届くようだ。

  • 2023.11.17 Real-World Economicsを実現しているかもしれない本2冊について少し調べてみた。Lars Syllの「批判」よりまともに色々考えているが、さてこれを皆で検討するとなれば何が起こるだろうか。多分、それぞれが考えている(異端派の)「経済学」のイメージが大きく違うことが明らかになるだろう。

  • 2023.11.16 Chesterが示唆する課題について、私なりの解決策を提案してみた。

  • 2023.11.15 David Chesterがまともなマクロ理論ができたと主張しているのは自分だけと書いている。異端派の理論が正しいと認定され、多くの人に受け入れられるようになる経路は、とういうものだろうか。

  • 2023.11.14 研究会の疲れが今日も。

  • 2023.11.13 昨日から急な寒波。日本海側では10cm、20cmの積雪のところも。今日は一日、何も考えずにぼんやり過ごす。

  • 2023.11.12 国際価値論研究会第28回研究会。専修大学神田校舎で。私の報告は「日本の「失われた30年」/国際貿易論の立場から」。趣旨には多くか賛同してれたが、だれか追いかけて実証的に検証してくれる人はいないだろうか。

  • 2023.11.11 妻の叔母の宣誓50周年のお祝いというので、永福町近くのマリア会に行く。途中、道をまちがえてミサに遅れる。研究会の第一報告は取りやめと連絡を出し、第二報告のプリゼン資料作りにと取り掛かる。

  • 2023.11.10 第一報告は取りやめとせざるを得ないかもしれない。重要な主題であり、ヒントがありながら、けっきょく何もまとめられなかったというのは初めてだ。

  • 2023.11.9 くるしまぎれにTieben(2012)を読んでいる。いい本だとは思うが、けっきょく均衡という枠組みは必要としている。これでは、本当のbreak throughは生まれないだろう。

  • 2023.11.8 国際価値論研究会の一本目は、均衡論とab ovoの仮定に対立すべきものとして< 過去から引き継いだ構造について書く予定だったが、なかなかまとまらな。

  • 2023.11.7 ネブラスカ大(リンカーン校)名誉教授のGary D. Lynneが唱えているMetaeconomicsについてコメントを書く。メタという以上、れが経済学ではないことは認めているのだろうが、me個人の利害からweの利害という新しい視点を付け加えれば、経済学ないし経済思想が大きく変わるというのだが、本当だろうか。もしそういう可能性があるとしても、それを等効用曲線の話にしてしまうのは矮小化と言うべきものだろう。

  • 2013.11.6 国際価値論研究会の一本目の報告がなかなか進まない。うまくまとまれば、けっこう新しい提案になるはずなのだが。

  • 2013.11.5 Bert TiebenのThe Concept of Equilibrium in Different Economic Traditions / A historical investigation (2012)が届いた。日本に一冊、古本であったらしい。と言っても、中には書き込みは何もなく、まったく新品同様。600ページを超える大冊に買った人が読むのを諦めたのだろうか。

  • 2023.11.4 国際価値論研究会の今度の二つの報告のもう一つの「経路依存」のために、2年前の論文を読み返している。

  • 2023.11.3 国際価値論研究会の今度の二つの報告のうちの一つ、「日本の「失われた30年」/ 国際貿易論の視点から」の概要をまとめる。ちょうど一年前にほぼ同趣旨の報告をしているのだが、ぞれだけ深まったのか。

  • 2023.11.2 黒瀬論文を読み終え、どう「反論」すべきか考える。

  • 2023.11.1 EIERへの投稿Some supplementary explanations on Microfoundationsが公開された。まだページ番号なし。これはSMT(2019)についての遅ればせの特集。といっても、私や森岡・谷口氏の単独の投稿を除くと、実質的には植村さんと黒瀬さんの投稿のみ。黒瀬さんの論文を読み始める。


    2023年10月
  • 2023年10月31日 歯医者の後、仙川で植村博恭氏と食事。今後打ち上げるべき研究会にについていろいろ話しあう。

  • 2023年10月30日 桜上水まで散歩。

  • 2023年10月29日 一日中、家にいたので、5時近くに軽く散歩。

  • 2023年10月28日 マンションの防災訓練。安全札の回収にあたっただけでも、いくつかの問題点に気づいた。

  • 2023年10月27日 久しぶりに仙川まで散歩。あちこちの垣根のサザンカが綺麗に咲いている。

  • 2023年10月26日 第7回目のコロナ・ワクチン接種。妻は腕が痛くなるなどと言っているが、私はほとんど副反応というようなものは感じない。あえて左腕を変な形に動かそうとすると、少し痛みがあるかもといった程度だ。

  • 2023年10月25日 ようやくe-proofingが終わり、校正結果を編集部に提出することができた。

  • 2023年10月24日 Springerのe-proofingの続き。数式のLaTeXは比較的慣れているが、本文の校正(文言修正)がなかなかうまくいかない。数式や文献の参照も、まだよくわからない。

  • 2023年10月23日 本文中の参照文献と文献表との照合のためだけに、1日終わってしまった。

  • 2023年10月22日 蘆花公園で「第11回蘆花祭り」があった。この公園にもこんなに人が集まることがあるんだと思うほどの賑わいで、ちょうどお昼時に行ったせいか、どの露店も長蛇の列だった。日本女子体育大学のダンス研究会のデモを見ただけで帰る。高遠小彼岸桜が狂い咲している。今年の夏の猛暑のせいだろうか。

  • 2023年10月20日 久しぶりに仙川まで散歩。秋たけなわで、金木犀も咲いているが、今年の金木犀は匂いが弱いのだとか。確かに、そんな気がする。

  • 2023年10月19日 G. Fontana and B. Gerrardの"The future of Post Keynesian economics," BNL Quarterly Review 59(236): 49-80を読んでいる。Post Keynesian economicsの歴史がJ. E. King (2002)とはとは違った角度から見えてくる。Fontanaたちが最近はPKに関心を失っているように見えるのは残念なことだ。

  • 2023年10月18日 Some suplementary comments on Microfoundationsの校正を始めた。なかなか根気が続かないが、早く仕上げなければ。

  • 2023年10月17日 Real-World Economics Blogへの昨日の投稿にJesper Jespersenが反論してきた。ゆっくり一日考えて、嫌味な反論を書いた。Jespersenは、自分の本が引用されるいることに気づかなかったのだろうか。

  • 2023年10月16日 少し調子が戻ってきた。Jesper JespersenのMacroeeonomic Metholodogy / A Post-Keynesian Perpectiveのあちこちを覗いている。これはさいしょ買ったとき、Keynesの第3章を、Keynesのそのままにaggregate supply and aggregate demand curbesの交点で説明しているので、2009年の現在でも、(Keynesに忠実かもしれないが)こんな陳腐な解説をしている悪い見本と見ていたのだが、ところどころでなかなか良いことを言っている。例えば、Introductionの結論部(p.14)には、こういう主張がある。
    Within macroeconomic reasoning, two completely separate methodologies have been developed: one for neoclassical theory based on equilibrium models, and another for the post-Keynesian theory based upon causal relationships and path dependent analysis, where uncertainty, a lack of information, institution and supply and demand factors under constant change create a sustained and (partially) unpredictable dynamic structure.

    この対立を明確に述べている方法論の本は珍しい。これをきちんと推し進めれば、Post Keynesianの経済学の枠組みは、もっと大きく変わってくるはずだが、第6章 Equilibrium and pathe dependece from a perspective of uncertainty では、Keynesのequilibrium概念をstadstillとして解釈して妥協している。こうした妥協が、結局、彼のtwo completely separate methodologiesを中途半端なものにしているのだろう。それでもLars SyllのThe ultimate methodological issue in economicsよりははるかに良い。同稿に対する私のコメントをもみよ。

  • 2023年10月15日 子供達が私の傘寿と妻の喜寿のお祝いをしてくれた。恵比寿のウエスティンで。もとの元気を取り戻すのに、半月かかってしまった。

  • 2023年10月10日 体調は回復してきたが、気力が持たない。

  • 2023年10月8日 ようやく咳が収まってきた。避難訓練の予行演習の立ち会い。

  • 2023年10月3日 PCR検査をしてみたが、陰性。

  • 2023年10月1日 満80歳。二日ほど前から鼻水が多いと思っていたら、熱(37°8′)と咳が出て、完全に寝込んでしまった。


    2023年9月
  • 2023.9.30 独占研究会。

  • 2023.9.28 藤本容啓さんと個人的研究会。新宿プリンスホテルにて。

  • 2023.9.27 RWER BlogにSteve KeenがRisk versus Uncertaintyという抜粋を載せている。これがぞの程度、Keenの意向によるものなのか。もともと考えていたことなので、元気付けにコメントを投稿する。

  • 2023.9.26 精神的脱力状態というべきか。書くべき手紙がなかなか書けない。

  • 2023.9.25 植村博恭氏と共に、多田悠紀さんの話を聞く。

  • 2023.9.24 技術が変化する場合に何が起こるかは、やはりなかなか一筋縄とは行かない。

  • 2023.9.23 Robertsonの恒等式関連で、また色々、考えている。

  • 2023.9.21 藤本容啓氏の「国際価値論」について、二人で研究会。A4 59ページの力作。

  • 2023.9.20 EIERの原稿や報告準備などで疲れたせいか、日・月・火と寝てばかり。今日になってようやく普通に動き出す。

  • 2023.9.16 Heinz Kurz先生の東京最終日。100円ショップなどは珍しいのではないかと、銀座のマロニエゲートのダイソーに案内する。ニューヨークには類似の店があると言っていたが、品数の多さにはやはりお驚いたようだ。そのあと、帝国劇場横の一保堂茶舗内の嘉木(かぼく)で薄茶を飲む。山手線を越えて道案内に「帝国劇場」を聞いたのだが、帝国ホテル近くの劇場と間違えてか、宝塚劇場に案内されていまい、思わぬ大回りをしてしまった。

  • 2023.9.15 午前中は、PPTの見直し。講演は、何とかうまくいき、少なくとも何人かの人には感銘を与えることができたようだ。東京湾クルーズにも参加し、帰宅は11時半。

  • 2023.9.14 会議には、午後から出席。

  • 2023.9.13 15日の基調講演の準備のため、パーティを早めに切り上げて帰宅。早めに寝て、早朝に起き、PPTの原稿を作る。

  • 2023.9.12 パジネッティ追悼セミナーで報告。夕食は、みなでタイ料理のお店に。

  • 2023.9.11 今日はDavid Ricardoが亡くなってから、丁度、200年。この200年の経済学の進歩を大きいと考えるかどうか。明日の講演(「Pasinettiに何を学ぶか」)のプリゼンテーション資料を何とかだいたい仕上げる。

  • 2023.9.10 Evolutionary and Institutional Economics Reviewの特集の改訂投稿をようやく済ませる。8月中と言っていたのが、結局、10日も遅れてしまった。

  • 2023.9.5 ようやくInternational Conference on Theory and Policyの原稿 Ricardo, Sraffa, Pasinetti, and Beyondを書き上げる。どう議論するかで、だいぶ手こずってしまった。


    2023年8月
  • 2023.8.25 市場経済における数量調節の意味について考えるために、けっきょく二日間、あちこちの論文に目をはしらせるのでおわってしまった。自分自身の中でも、その意義が本当にはよくわかっていないのかもしれない。

  • 2023.8.23 価格については何とか書いたが、次の数量調節経済でまた頓挫。

  • 2023.8.22 Sraffa (1926)の後、どう繋げるかで悩み、けっきょく二日かけてFrederic Lee の Post Keynesian Price Theory (1998)を読んでいた。他では得られない貴重な情報まんさいなのだが、やはり「価格理論」であるという限界を越えられていない。すでに亡くなってる著者にこんな不満を述べても意味がないのだから、本当は、Lee (1998)以降の四半世紀に、これを乗り越える著作が現れていなことに不満を感じなければいけないのだ。

  • 2023.8.20 昨日・今日とSraffa (1926) The laws of returns under competitive conditions を再読していた。意外に新しい意味が見えてきた気がする。

  • 2023.8.17 『コペルニクス革命』は、もしそれがケインズ革命にも教えるものがあるとすれば、ケインズやその直弟子たちの文章を「解釈」するだけからは、何も得られないことを教えているる。新しい理論革命があって、はじめて彼らの直観の意義がわかってくるのだ。

  • 2023.8.16 台風が日本海に抜けたが、静岡付近の急な大雨で東海道新幹線が一時ストップ。福岡まで影響が出たという。Kuhnの『コペルニクス革命』を再読、Pasinettiの科学革命観を考える。

  • 2023.8.15 旧盆の真っ只中というのに、近畿地方を台風が直撃。名古屋・岡山間が計画運休。

  • 2023.8.14 SraffaとKahn & Robinsonたち、あるいは二人とKeynesとの関係など、謎ばかり。かなり強引な仮説形成が要請されよう。決定版を書こうなどと思わないことだろう。

  • 2023.8.13 細部は決まらないが、まずは書き始めてというので、Pasinetti Session用の論文を書き始めた。

  • 2023.8.12 Pasinetti sessionでの報告の中身がようやく見えてきた。

  • 2023.8.11 草取りはかなりの労働だったし2階住まいで何度も階段を上がりおりしていたが、やはりそれでは不十分らしく、少し脚が弱った感じだ。

  • 2023.8.10 8月2日からに9日まで、長野県の大町に。書庫にしている家の草取りが主な仕事だが、今年は大町といえども、昼は真夏日で昼寝をして時間を過ごすしかなかった。


    2023年7月
  • 2023.7.31 なんとか今月中にと思ってやってきたが、まだ1/3強。日暮れて道遠し。

  • 2023.7.30 Some Supplementary Explanationsを読んでいる。多少不満もあるが、なかなか書き直すだけの気力が出ない。

  • 2023.7.29 鶴田光彦先生の「偲ぶ会」。アルカディア市ヶ谷で14時より。久しぶりに会う顔が多かった。中央大学を退職して、もうじき10年になるのだから当然だ。

  • 2023.7.28 散髪と歯医者(メンテナンス)。開花期がながいサルスベリだが、今が最盛期だろうか。樹によっては、見事に咲いている。

  • 2023.7.27 Rosaria Rita Canaleが2003年に書いたMicrofoundations of macroeconomics. Post-Keynesian contributions on the theory of the firmを読んだ。ほとんど同名のLavoieの新著の書評を請求した際、発見したもの。企業の理論としては、ほぼ妥当なことを書いているが、数量面の調整がどうなるかについての関心がない。また個別企業の行動が経済全体としての何をもたらすかの関心もなさそうだ。

  • 2023.7.26 HagemannとSyrquinとBaranziniに彼らの論文・本に関する感想を付けてメールを送る。RGを使わない人もおり、どのくらい読んでくれるかは疑問だが。

  • 2023.7.25 昨日・今日と二日間かけて科学研究費の申請書の1の部分を書き直す。4つの班に別れてとなると、全体としての統一感を出すのがなかなかむずかしい。Luigi Paninetti: An Intellectual Biographyをようやく読み終わる。最初は、部分的に広い上げるつもりだっていますが、結局、全部読んでしまった。

  • 2023.7.24 そろそろ本格的にSupplementary Explanationsの見直しに取り掛からなければならないのだが、レフェリーリポートの一つを読めただけでおわる。

  • 2023.7.23 Moshe Syrquinの論文Kuznets and Pasinetti on the study of structural transformation: Never the Twain shall meet? (2010)を読む。経済史の立場からPasinettiのvertical integrationを読んでも、当然、不満は残るだろう。問題は、Pasinettiを超えて我々が提起しようとしている理論枠組みにどんな印象を持つかだ。

  • 2023.7.22 昨日のHagemannの図は、我々が今企画しているParallel History in Economicsの一例になるだろう。そう思って、Hagemannの論文を付けて、田淵・八木両氏にメールを送る。

  • 2023.7.21 Luigi Paninetti: An Intellectual Biographyに紹介があって(p.261)、Harald Hagemannの論文 ‘Luigi Pasinetti’s structural economic dynamics and the employment consequences of new technologies’ を読んでいる。この9.1図(p.207)が示唆的だ。Vertical approachとHorizontal approachの二つの流れを図示した上で、HicksもPasinettiも、この両者を統合すべく二つの間を行き来しているというのだ。この対立図式から欠け落ちているものが大切なのだろう。

  • 2023.7.20 オストラムの本の翻訳を出せないと出版社からいってきたと食満さんから連絡があった。色々言っても、受け入れざるを得ないだろう。問題は、次にどう動くかだ。

  • 2023.7.19 Mauro BaranziniにRG上で論文送付を頼んでいたら、いきなりgmailで依頼していた論文をおくってきた。お礼の返事をしたら、なぜかBaraziniがAmalia Miranteと共著のLuisi Pasinettiに関する本一冊のPDFを送ってくれた。伝記と論争史を組み合わせたようなもので、なかなかおもしろそうだ。

  • 2023.7.18 Pasinettiのstructural change and economic growthといあテーマについて色々読んでいる。

  • 2023.7.17 熊本・福岡、石川につづき、今度は秋田で大水。駅前を含む中心街が水没するというとんでもない事態に。

  • 2023.7.16 第6回目のコロナのワクチン接種。医者に副反応はと聞かれたので、2回目の接種を除いて全然問題がなく、効いていないんじゃなかと心配になるくらい、と答えたらファイザーに比べてモデルナは、ずっと副反応の出方が少ないと言っていた。これは公式な統計に基づくものなのだろうか。

  • 2023.7.15 明治の国際会議への報告論題(英文の方)をRicardo, Sraffa, Pasinetti, and Behondと決め、その要旨を書いた(350 words)。大胆な主張になるが、そろそろ正面切って主張していくことが必要だろう。

  • 2023.7.14 Pasinetti自身の2010年以降の著作や、彼について書いた論文をいろいろ探し読む。Ricardo -> Sraffa の延長上で貿易論を考えようとする論文のいくつか出ていることに気づいたが、なぜかSteedman (ed.) Fundamental Issues in Trade Theory 1979以降の展開がほとんど感じられない。我々の国際価値論についても、存在に気づいてもいないようだ。

  • 2023.7.13 9月の明治の国際シンポジウムの要旨提出期限が近づいたので、関連資料を読みはじめる。報告主題も、当初のものからRicardo, Sraffa, Pasinetti, and Beyondにしようかと考えている。

  • 2023.7.12 もうそろそろ立ち直るべきだが、なかなか気力が戻らない。
  • 2023.7.11 講義の準備に力を入れすぎたせいか、歯医者にいった以外は、一日ダラダラ。

  • 2023.7.10 立教の講義が無事終了。教室の外に同数以上の聴講者がいるというが、教室の反応を見る限りは、一応は興味をもって聞いてもらえたようだ。

  • 2023.7.9 ようやく午後4時、講義資料を送ることができた。すぐに返事をもらったところを見ると、関さんもやきもきしていたのかもしれない。資料は全部で51シート。見出し的なシートもあるが、ちょっと枚数を詰めすぎたかもしれない。

  • 2023.7.8 なんと今日中に講義資料をまとめようとしたが、なかなか。

  • 2023.7.7 7月1日に続き7月5日にも、Lars Syllの記事に投稿。Jesper JespersenがLars Syllの本(The Poverty of Fictional Storytelling in Mainstream Economics)についての書評をReal-World Economics Reviewの#104に書いている。たぶん、Syllの提案で、雑誌編集部から頼まれたのだろう。ほとんど盟友関係の二人だから、きつい批判的なことは書いていないが、最後に近い部分で(読み方によっては)なかなか厳しいことを書いている。以下は、その要旨。

    ロンドンやコペンハーゲンの書店を覗いてみると、異論派(dissenting economists、現在の経済学に異論をもつ経済学者たち)の本に溢れている。例えば、ハジュン・チャン、ヤニス・ヴァルファキス、ロバート・スキデルスキー、マリアナ・マッツカート、ステファニー・ケルトン、ケイト・ローウォスなどなど。これらよりもっと売れていると思われるようなものも、「経済学の何が問題か」に話題と絞っている。それでも書棚では、主流派の著作が圧倒的である。これはいったいどういうことだろうか。

    この指摘から考えられることは、Lars Syll流の批判が繰り返されても、主流派経済学に対抗できるだけの理論がなければ、けっきょく(現在の)主流派の経済学を駆逐することはできないということだろう。まさに、it takes a theory to beat a theory である。

  • 2023.7.6 7月1日に、例のReal-World Economics Review BlogのLars Syllの記事にコメント。Syllと私とでは、経済学を進めるべき方向や手法において、ほとんど反対の立場にあるのだから、彼のいちいちの立論に疑問を呈しても意味はないのだが、今回もJohn Stuart Millの言説を引いて"mathematical-deductivist straitjacket"を批判していることに、古典派だからといって、Millの主張がつねに正しいとは限らないことを指摘しておいた。数学的演繹的方法は、たしかに一面では拘束衣なのだが、科学は自由に想像力を展開しさえすれば良いというものでない。自分たちの思考がいかに誤りの多いものかという点に反省がなければ、数学的演繹的方法の意義を本当に分かったとは言えないだろう。

  • 2023.7.5 関良基さんの講義では、要素価格均等化定理までがすでにおわっているという。Heckscher-Ohlinの理論の中で、これが一番「おかしい」と感じてもらえるものなので、これはありがたい。ただ、当然ながら、貿易論の講義として、成長理論は扱っていないという。いま考えている、「アジアの中の日本」という枠組みでは、成長論と貿易論の双方が必要だが、現状の成長理論の批判から新しい成長理論まで一コマの講義の中に織り込むのはなかなか大変。

  • 2023.7.4 10日の講義の件で、関良基さんとメールのやり取り。Review of Keynesian Studiesを見ると、先月はStephanie Keltonの本の書評を抜いて、また私のThe principle of effective demand: a new formulationReview of Keynesian Studiesのmost viewed articlesのトップに返り咲いている。Keltonの書評との人気の差は、ごくわずかのようだ。

  • 2023.7.3 大阪で、谷口和久氏・森岡真史氏と今後の研究方向について打ち合わせ。11時に初め、途中、場所を大阪公立大学文化交流センターへ移して午後6時近くまで。

  • 2023.7.2 国際価値論研究会のため、今日は京都へ。

  • 2023.7.1 立教での貿易論講義の主旨を考える。


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