塩沢由典公式HP

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コロナ禍で巣ごもり生活、6年近く更新停止となっていた「公式HP」を再開することにしました。2020年7月10日。
短信・雑録を2021年11月から始めました。


まずは、 著書紹介 をご覧ください。新刊の書評・反響などを紹介しています。

さいきん書いた論文などに関する情報は、こちら をご覧ください。論文の意義や反響などについても載せていきます。

2020年までのサイトに御用のあるかたは、こちら をご覧ください。

  • 短信・雑感

    2023年3月
  • 2023.3.27 雨その他で3・4日サボっていたが、買い物を兼ねてひさしぶりに1時間半散歩。さすがにくたびれた。

  • 2023.3.26 今日も一日、降ったり止んだり。せっかくの桜はだいなし。また一日、Morishima (1964) の第4章に費やしてしまった。

  • 2023.3.25 3年ぶりの独占研究会。場所は東京経済大。高須賀義博先生の追悼記念研究会でいちど報告させてもらったはずだが、どうやって大学まで辿り着いたか、いっさい記憶がない。久しぶりのためか、20数名の参加があった。会食後、吉祥寺で石塚良次氏と1時間ほど話す。

  • 2023.3.24 Morishima (1964) の第4章では、数量過程が漸近的に安定であるということはやはり証明できていないのではないか。複雑な変形を繰り返していすぎるし、どうも何箇所かに勘違いがあるようだ。

  • 2023.3.23 Morishima (1964) Equilibirum, Stability, and Growthの第4章 An alternative dynamic system with a sprecturm of techniques を読んでいる。これが価格と数量の双方での(漸近)安定性を証明した論文とはなかなか思えないが、定式化にわからないところもあり、再度、もう少し詳しく検討している。

  • 2023.3.22 連日の暖かさでもサクラはほぼ満開に。家の脇にあるコブシは、ちょっと見ぬまに、もう最盛期を過ぎてき散り初めている。色々な花が一斉に咲き始めた感じ。WBCで日本チームが優勝、TVは朝からほぼそればかり。

  • 2023.3.21 連日の外出で疲れたのか、一日中、うつらうつら。

  • 2023.3.20 妻とふたりでRod and Yayoi Smithさんを田園調布に訪ねる。都市計画区域内の家を出す寝るのは初めて。Yayoiさんのいとこの家を日本滞在中借りているという。元の一軒を二つに分けた、小さな家と庭に紅白のボケの花が綺麗に咲いていた。

    Amit Badhuriの"Price or quantities? The common link in the metods of Sraffa, Keyensa and Kalecki"(Ciccone, Gehrke, and Mongiovi [2011] Sraffa and Modern Economics Volume II, Routledge, pp.89-96.)にSraffa (1926)の引用として以下の文節が引かれている:
    ... with a horizontal long period supply curve, cost determines price, while demand does not affect it but determines instead the quantity produced.
    しかし、Sraffa(1926)にはこのような文面は現れない。イタリア語で書かれたSraffa (1925)の引用間違いかと思ったが、該当の箇所を見つけることはできなかった。Googgleでは、この文はCicconeたち編の本のみがヒットする。

  • 2023.3.19 進化経済学会年次大会2日目。二日目の方がPosterへの反応がいいかもと期待したのだが、現実は厳しくほとんど反応なし。

  • 2023.3.18 進化経済学会第27回東京大会(立教大学)、初日。朝一番の企画セッションで報告、午後はPosterのために半日。今日から急に寒くなったのは痛手。Posterへの反応は、こうした企画に慣れていない学会としてはまずまずか。

  • 2023.3.17 ポスター発表資料は十分余裕を持って作成したはずだったのに、いざ印刷してみたら、行がずれて使い物にならず。WORDでFormatしたのに、mailで送ってみたら、まったく違ったものに。それを修正するのに一日終わってしまった。森岡・谷口両氏とお祝いの会食。

  • 2023.3.16 学会報告用のプリゼン資料作りに一日。PTTで作成していたら、途中でPTTXには転換できずにひと騒動。

  • 2023.3.15 この週末(3.11-12)にamazonで『増補 複雑系経済学入門』が3冊売れたようだ。最近にしては珍しいこと。

  • 2023.3.14 一日何もせず、ゆったり過ごす。東京では桜が開花宣言。

  • 2023.3.13 バスで宇佐神宮へ。中津から大分空港への路線の途中。宇佐神宮は、今回の良好の目的地の一つ。もちろん、行ったからといって何も新しく分かることはないが、行けなかった百体神社・凶首塚古墳の位置関係や距離感は掴めた。大分空港午後5時発の飛行機で家に帰り着いたのは9時半近く。

  • 2023.3.12 一日かけて中津に移動。午後遅く、福沢諭吉の旧宅と中津城を見学。

  • 2023.3.11 飫肥(おび)城見学。日向・伊東氏5万7千石の居城。土曜日のせいか、観光客も多かった。午後は、鬼の洗濯岩を見て鵜戸神宮と青島神社に参拝。明治期の写真に比べて青島がはっきり隆起しているのに驚く。

  • 2023.3.10 飛行機で宮崎・日南市へ。黒木家の皆さんと会食。

  • 2023.3.9 明日10日から4日間、宮崎・大分へ旅行。

  • 2023.3.8 ここ二、三日の暖かさでウメ、ボケ、サクラ(花の色から河津桜系か)が一緒に咲いている。数日前からツワブキによく似た花が咲いている。さてツワブキは、春咲きもあるのかと思って調べてみたら、ヒメツワブキというものだった。葉っぱがツワブキよりずっと小さく、花はより鮮やかな気がする。

  • 2023.3.7 循環器の先生が言っていたように、朝起きたら心房細動は治っていた。薬のせいなのか、自然にもどったのか。

  • 2023.3.6 長寿健康診断の期限が切れるので朝から病院へ。心電図をとったが、正常そのものという。しかし、午後になる心房細動がでて息苦しい。結局、循環器専門の先生に診てもらって薬をもらう。病院2軒と薬局とで一日終わってしまった。

  • 2023.3.5 ここ数日の疲れが溜まったのか、やる気がでない。早く寝る。

  • 2023.3.4 櫻井公人教授の退職最終講義にでる。立教大学特別専任教授という制度が今年からでき、されに就職されるとのことで、あと5年はこれまで通りに勤められるとのこと。元ゼミ生の出席も多く、サンシャインシティの59Fのオーシャン・カシータで開かれた懇親会も大変な賑わいだった。

  • 2023.3.3 Cafficeという喫茶店で藤本容啓氏と会う。新宿の東側はまだ慣れず、代々木駅の近くまで行ってしまう。正則価値の新しい定義について、解説、3時間ほど議論する。帰りにMosaicを通ったら、3月末で閉鎖されるという。ビルの隙間にできた小道だが、なんとない風情があった。最後とおもってBagle & Bagleで軽食。

  • 2023.3.2 塚本恭章著『経済学の冒険』をなんとか読み終えて、同著への推薦文を確定させる。

  • 2023.3.1 久しぶりに少し余裕ができたので仙川まで散歩。しかし、花粉の悲惨がひどかったようで、(かんだ)はなかみ製造機になっしまった。


    2023年2月
  • 2023.2.28 昨夜は悪戦苦闘して、なんとか論文全体の趣旨を整えたが、これで納得してもらえるものになるのかどうか。こちらは、大会実行委員会へ、もう一つのEvolutionary and Institutional Economics ReviewのSpecial Issueへの原稿も、なんとか形式を整えて、投稿を終えた。

  • 2023.2.27 歯医者へ。詰めていたものが取れてしまったが、こちらは銀歯で済んだ。報告論文はなかなかまとまらない。藤本さんに読んでもらったが、論旨が通っていないと厳しい評価。大会用論文とは別に、EIER投稿用論文の草稿第1稿を掲載する。コメントがあれば、y@shiozawa.netまで。3月中にご意見をいただければ、最終稿に反映させる可能性がある。

  • 2023.2.26 進化経済学会の報告用論文、今日中には仕上げる予定だったが、なかなかまとまらない。

  • 2023.2.25 入居している集合住宅の初めての理事会。防災担当理事を買って出たので、色々考えなければならないのだが、理事に選ばれた総会から一ヶ月、何もできなかった。

  • 2023.2.24 ロシアによるウクライナ侵略開始から一年。こんな日にも、論文のことにのみ忙しがっている自分が情けない。

  • 2023.2.23 進化経済学会大会でのポスター報告原稿は何とか仕上げた。というか、何とか16枚を埋めた。

  • 2023.2.22 宮崎義一『近代経済学の史的展開』の第二部の第二章・第三章をほとんど読んだ。宮崎先生がケインズの経済像にきわめて厳しい見方をしていたことに気づき、驚いている。

  • 2023.2.21 ぐうぜんカレツキの『経済変動の理論』(宮崎義一・伊東光晴訳、1958)が出てきた。買って積んであったのだが、読んだ記憶はほとんどない。しかし、宮崎と伊東の二人がなぜこの本を訳したのか、二人に対するカレツキの影響はどんなものだったのだろうか気になって宮崎義一『近代経済学の史的展開』を読みはじめた。なんといっても、この二人は私が大きな影響を受けた恩師だ。

  • 2023.2.20 学会報告の論文A4 20枚以下を書かねばならないが、いろいろ書いて疲れてきた。30分で話せることはせいぜい3テーマほど、何を話せばいいのか。

  • 2023.1.19 ようやくポスター発表の原稿をまとめた。全紙(A0)1枚分、A4 16枚はなかなかの分量だ。

  • 2023.2.18 森嶋通夫は、近代経済の80%は固定価格経済であると考え、価格の固定性を考慮した一般均衡理論と称するものを提示した(『新しい一般均衡理論/資本と信用の経済学』)。その第4章「一時的均衡」を読んでみても、価格が固定される機構(収穫一定)はあるが、その元にある産業の製品の生産量がいかに決まるかの説明がない。ただ、一時均衡なるものが存在すると言っているだけだ。そのことなら、すでにArrow and Debreuでわかっていたはずだ。彼らの仮定に収穫一定は排除されていない。しかし、均衡が存在するとこと、現実の経済がそれを発見できることの間には大きなギャップがある。なぜ、その問題を考えることなく、近代経済が説明できたと思ってしまったのだろうか。均衡理論の罠にはまっていたとしか考えられない。

  • 2023.2.17 生まれてはじめてポスター発表用の原稿を作っている。

  • 2013.2.16 もう2月も半分経過。月末までに仕上げなければならない原稿が3本。少し油断していたかもしれない。

  • 2013.2.15 "Unplugged"という日本語の雑誌がある。講談社から出ているHOUYHNHNM Unpluggedではない。かつてあった『風餐』という雑誌の後継誌らしい。その11号に編集発行人の府川雅明が上田悟司に聞くという形式で複雑系経済学についての解説が載っている。20ページの大特集だ。私と森岡・谷口の3人によるMicrofoundations of Evolutionary Economicsをも射程に収めた解説としては、日本はもちろん世界でも最初のものであろう。細かい事実のまちがいが少数あるが、大筋としてはとても正確に全体像を捉えている。経済学者でも、こうはいかないかもしれない。感謝。

  • 2023.2.14 ケインズ経済学はなぜ経済成長の理論と見なされないのか(Why is Keynesian theory not considered as a theory of economic growth?)という問題がResearchGateで投げかけられ、すでに投稿数41本に達している。もちろん、荒唐無稽な投稿も多いのだが、考えるよい機会になる。私の投稿は38本目、41本目など。Hubert EscaithはもとWTOの主席統計官。

  • 2023.2.13 進化経済学会の年会費を納入しようとしたら、フェローになると年会費免除だそうだ。大変な特典だ。

  • 2023.2.12 今書いているSome supplementary Explanationsは、そろそろ打ち止めとしなければ。

  • 2023.2.11 水戸・偕楽園の梅まつりが始まった。近くでも梅が咲いているが、なぜか開花時期か不均整。小正月のどんど焼きのとき、近くの梅園の一本の西側半分が咲いていた。一ヶ月経った今も、奥の一本だけが満開だが、他の多くの木は咲く気配もない。

  • 2023.2.10 東京を含む全国に雪。東京都区内にも大雪警報が出されたが、世田谷区は2cm程度の積雪。こういうのは「大雪警報」ではなく「小雪警報」あるいはせめて「積雪警報」というべきだろう。

  • 2023.2.9 Peter EarlとTi-Ching Pengの"Brands of Economics and the Trojan Horse of Pluralism" Review of Political Economy 24(3): 451-67, July 2012という論文を読んでいた。主流派の経済学内にトロイの馬を送り込むという戦略はなかなかおもしろい。

    この数日、PKの理論としての消費需要をどう考えるか考えていた。Earlのような存在を知ったことは心強いが、経済学の方向としてはほとんど考えが進まなかった。

  • 2023.2.8 BS TBSの「報道1930」で日銀の異次元金融緩和が特集されていた。アベノミクスを掲げた選挙で自民党が圧勝したのだから、「失われた20」をさらに10年伸ばした「功績」は、金融緩和や「期待に働きかける」ことでインフレは起こらないということだろう。インフレは、金融現象・貨幣現象であるという基本に問題があると思う。インフレは、金融経済の現象というより、かなりの程度に実体経済の問題なのではないか。

  • 2023.2.7 鶴田満彦先生が今日未明に亡くなられた。昨年の独占研の「明治大学」とのお別れ会に欠席されたので、体調が心配されていたが、体調がやはりかなり悪かったのだろうか。

    Peter Earlは、自称も他称もPost Keynesianのbehavioral economistだとわかった。LavoieもEarlの著書をPKではもっとも精密な経済行動の叙述と紹介している。

  • 2023.2.6 日本ではPeter Earlの議論はどう紹介されているかと思い、"ピーター・アール"で検索してみたがヒットしない。"P.アール 経済学"ではどうかと思い引いてみると2件ヒットした。歴史学など他分野の人のものが他にも引かれていた。Peter Earlには、英語ではペーパ・バックのものを含め何冊もの本があるが、翻訳はないようだ。翻訳大国日本としては珍しいことか。ヒットした2本は、いずれも米川清氏の論文。2本ともほぼ同時期のもので、同じような内容だが、端的に両者の違いを指摘した短い方を紹介しておこう。「2つの限定合理性」『経営学論集第86集』(2016)。新・行動経済学になって「限定合理性」いかに変形されて新古典派経済学と妥協したかがよくわかる。米川の指摘は経営学の視点からは当然とも言えるが、この問題は経済学でももっとよく考える必要がある。

  • 2023.2.5 Peter EarlのBehavioral Economicsの序文を読んでみた。新旧の行動経済学を論じた論文があり、H.A.Simonや彼の後継者たち(MarchやCyertなど)までが旧行動経済学だという。Simonを行動経済学とみなす必要はないが、問題はTvertsky & Kahneman以降の新・行動経済学が登場したことにより、旧・行動経済学がほとんど忘れられているという。もしこれが本当だとすれば、単に新旧の好き嫌いでは済まされない。

  • 2023.2.4 Peter Earl という経済心理学者がいる。若い頃に読んで印象に残っている。題名や中身までは不確かだが、たぶんLifestyle Economics (1986)だっただろう。私よりずっと年上の人かと思っていたが、昨年、ResearchGateで通信する機会があり、私とあまり変わらない人間であることを知って驚いた。そのPeter EarlがPrinciples of Behavioral Economics: Bringing Together Old, New and Evolutionary Approaches, Cambridge University Press, 2022という本を出したことをつい二日ほど前に知り注文した。それが今日届いた。日本に現物があったようだ。私は、現在のNew behavioral economicsよりもOld behavioral economics (たとえば、G. KatonaのPsychological Analysis of Economic Behavior 1951) を高く評価するほうなので、Old behavioral economicsから扱っているくれるだけで嬉しいが、それにおまけがついてevolutionary approachまでを考えて統合するというのだから買わない手はない。あまり読む時間は取れないが、すこしのぞいておこうと思ってページを繰っていたら、以下の紹介があって驚いた。
    Readers who are interested in more formal approaches are strongly encouraged to consult the work of Shiozawa et al. (2019), which complements at many points the perspective offered in this book. (p.3)
    われわれの本に対する理解者が意外なところにいたということだ。

  • 2023.2.3 節分で生のイワシを探してスーパ3店、魚屋一軒を回ってみた。生のものがないわけではないが、頭が落ち、腹が開かれている。食べやすいだろうが、鬼祓いにはならないだろう。仕方なしに銚子産の丸干しの大きなものを買ってかえる。

  • 2023.2.2 EIERのシンポジウム用の原稿は、ようやくラフ稿が完成したが、読み直しだけでも、だいぶ時間が掛かる。とくにこういう仕事は、眠いとまったくだめだ。

  • 2023.2.1 Luigi Pasinettiが亡くなったと明大の八木尚志教授から連絡が来た。まだ、twitterへの個人による死亡記事しか出ていないようだ。

    2023年1月
  • 2023.1.31 高松紀夫さんのご家族から49日の忌明けのご挨拶がきた。住所をみると、なんと同じマンションの住人だった。もう5年も住んでいるが、ちっとも知らなかった。

  • 2023.1.30 ResearchGateのcitationsが502となり、ようやく500を越えた。実をいうと、このうち半分ぐらいは自分自身の引用だろう。ひょっとすると、もっと高率かもしれない。それでも、なんとか1,000までは目指したい。

  • 2023.1.29 マイナンバーカードを受け取りに区役所支所へ。NHKの大河ドラマ「どうする家康」は、お市の方を元康に娶らせようと信長が命令するという意外な展開。さて、どう落とし前をつけるかハラハラしたが、実はお市の方の初恋の人という設定であった。

  • 2023.1.28 Normal cost pricingが正いことは漠然と分かっていたが、きちんとした説明ができなっかた。一晩考えた結果、なんとかひとつの説明まではたどりついた。

  • 2023.1.27 Marc LavoieのPost-Keynesian Economicsの第3章を§3.5から§3.7までを通して読んでいる。上乗せによる価格設定(markup pricing)の各種類をおさらいするためもあり、我々の本の紹介である§3.7.4とどう接続しているのか知るためでもある。意外によく接続していてびっくり。Lavoieにとっては、まさに待っていた研究成果だったのかもしれない。

  • 2023.1.26 注文していたMarc LavoieのPost-Keynesian Economics 2nd Edition (2022)が届いた。科研費で買えることになったのでありがたい。

  • 2023.1.25 Dixit & Stiglitz (1977)と40年後にそれを回顧したStiglitz(2017)を読んでみても、選好グループ間の遷移確率を考えたものはなかった。小さな部分に過ぎないが、"love of variety"を凌駕できたかもしれない。

  • 2023.1.24 私が「強い選好」と呼んでいる「選好」(CES選好関数の指数[ふつうはσ<1]をσ>1としたもの)においても、グループ間の転移確率にあるものを仮定すると、シェアが価格比の関数となることが分かった。これが正しければ、上乗せ率が出てくるもうひとつの説明が出てきたことになる。

  • 2023.1.23 今ごろ気がついたのだが、われわれ塩沢・森岡・谷口の本Microfoundations of Evolutionary Economicsに関するシンポジウム(Tony Aspromougos, Kenji Mori, Arrigo Opocher, J. Brakely Rosserの4氏の寄稿にわれわれ3人が共著でReply/返答を書き、Metroeconomica編集長のHeinz KurzとNari Salvadoriがシンポジウム序言を書いたもの)がようやく巻号とページが確定して載っている。73巻の第1号だから、昨年中の早くに決まったもののようだ。Free to readになっているので、ここを訪れて読んでください(Downloadはできないが、PDFで読める)。我々の返答は34ページからはじまっている。プリントアウトして読みたい方は、下記email addressにご連絡ください。じつは、本やこの返答に書きれなかったことなどをEIER(Evolutionary and Institutional Economics Review)の次号か次次号のために、いま第一稿を書いている。

  • 2023.1.22 Hotellingの変形としてシェア関数が価格比の関数となる場合を感変えている。意外な進展があった。この関数は、Dixit-Stiglitz流のCES Utility functionからも導くことがてきるが、それは代表的個人が弱い選好を持つ場合に限られる。上乗せ価格の普遍性は、異なる諸個人が強い選好を持つ場合にも、同様のシェア関数が得られるであろうとことを示唆している。

  • 2023.1.21 初心に戻ってHotellingの競争を再検討している。

  • 2023.1.20 必要があって、Tony LawsonのThe Nature of Post Keynesianism and Its Links to Other Traditions Journal of Post Keynesian Economics 16(4): 503-538, 1994 を読んでいる。

    Lawsonは、新古典派の問題点が"the universal orthodox reliance upon axiomatic-deductive reasoning" (上記 p.524)にあり、Post Keynesiansがそれを暗に反対しているとしてPKに一種のエールを送っている。既存の新古典派批判(ないし主流派批判)としてこれがあたっていても、そのゆえをもってその反対的立場を異端派経済学の方法論的要請とすることはできない。

    Lawsonは科学的探究が以下のようなもものであることを認める。
    Clearly, if a knowledge of structures cannot be obtained merely through sense experience, it is hardly intelligible that they can be created out of nothing, as it were. What is a issue here, then, is a transformational conception of knowledge. From the transcendental realist perspective, knowledge progresses as existing theories, hunches, hypotheses, anomalies, and the like, come to be transformed in, and thrugh, the laborious social practice of science. (ibid. p.514)
    Given that science is revealed as a laborious social practice concerned with revealing structures governing phenomena of interest, and given the open nature of the world, it follows that methodological reasoning must be constructively involved at every stage of research. (ibid. p.515)
    Lawsonは、問題の所在をほぼ正しく把握しているといえよう。かれの問題は、それにもかかわらず、経済学の探究において数学的な方法をほとんど先験的に排除してしまうところにある。Lawsonはまだまだやや慎重である(全面的否定・拒絶にはなっていない)が、Lars Syllになるとこの排除が中心的主張にまでなっている。LawsonやSyllは、数学的思考を"axiomatic-deductive reasoning"としか捉えられず、その試行的・検討的・創造的性格をみて取れていない。科学の営みが、上に見るように、諸理論・予感(ないし勘)・仮説・異常(ないし変則)の集合から考え始めざるをえないことをLawsonは正しく理解している。しかし、でき上がった「理論」を提示するときに、axiomatic-deductiveな形をとることがほとんどであること(その認識は正しい)をみて、諸理論・諸仮説の集合を総合・再編成するにあたり、数学的思考が創造的な働きをすることを見落としてしまっている。研究における試行錯誤過程がほとんど見落とされているし、試行錯誤に先だって必要とされる相互に無関係なあるいは矛盾する諸理論の統合に向けた試みが否定されてしまっている。Lawsonは人間の論理的思考能力の限界を十分に感じていない。だから日常言語を使って経済のような巨大システムの全貌を捕まえうると考えている。それは空虚な幻想だろう。数学を使ったからといって、それは容易ではない。しかし、数学を使っての体系化という道を(ほとんど)閉ざしてしまったことで、かれは饒舌な方法論者にはなってしまった。方法論のみから新しい(とくに画期的・突破的な)理論が生まれることがほとんどないことを忘れてしまっている。そのことは、Lawsonがcritical realismを受け入れ、ontology的の導入を提唱し始めてからすでに30年近く経つにもかかわらず、かれの周辺ないしかれの方法論に刺激を受けた研究でbreakthroughと呼べるものがほとんど生まれていなことが証明している。(もし、この研究は反例ではないかというものがあれば教えてほしい。)

  • 2023.1.19 Frederic S. LeeはPost Keynesian経済学の中ではほとんど唯一の価格理論の単行本Post keyensian Price Theoryの著者だ。そのLeeが癌で亡くなる直前まで完成をいそいでいた本Microeconomic Theory (2018、Tae-hee Jo編)の中で、We don't know anything about how profit mark-ups are setと言っている(p.219)。J. E. KingのPost Keyensian Economics (2015)にも言及がある(p.51)。先行するすべての理論に不満だったようだ。

  • 2023.1.18 私がなぜLars Syllの論陣にいちいち反論しているか(昨日1.18の項参照)説明しておいた方が良いだろう。私はSyllには大したoriginalityはなく、ただTony Lawsonの経済学方法論をややまちがった方向に極端化しているに過ぎないと見ている。したがって、本丸はLawsonだが、彼の影響力はきわめて大きい。例えば、昨年翻訳が出たスキデルスキーの『経済学のどこが問題なのか』(鍋島直樹訳、名古屋大学出版)は、善意に溢れた新古典派経済学の方法論批判なのだが、その骨子のひとつに経済は開放系なのに閉鎖系として扱っているというものがある。これはRoy Bhaskarの考えをLawson経由で輸入したものだ。私の考えでは、もうこの段階からまちがっている。ガリレオの落体の法則やケプラーの惑星運動の三法則は、対象が閉鎖系であるから数式化できたのではなく、そこに数式を発見したからBhaskarのいう閉鎖系になったのだ。経済学でも事情は同じだ。下手な数学化を試みれば失敗するに決まっているが、だからといって数式化ないし数学的定式化自体が悪いわけではない。例えば、我々のMicrofoundations of Evolutionary Economicsは、数式ないし数学的定式化に溢れているが、均衡論でも方法論的個人主義でもなく、システムの全体過程を分析している。それが一見「閉鎖系」のような形に見えるのは、需要を価格の関数としてではなく(需要関数の否定)、一定の価格のもとでも緩やかに変化するものとして扱っているからだ。Lawsonは出身が数学とあるが、研究としてやったのは計量経済学(の批判)であって、まだ定かではない対象を捉えよえと苦労した経験がないのではないか。数学でしか捉えられない複雑な関係があることが彼らの議論からはすっぽりと抜けている。

  • 2023.1.17 Real-World Economics Reviewという雑誌がある。2000年頃のフランスの経済学の学生の反乱に刺激を受けて発足したのだ。その付録にReal-World Economics Review Blogがある。前にも一度紹介したかもしれない。異端派が中心になって活発な議論が行われているといえば聞こえが良いが、中にも酷いものがあり、経済学そっちのけで政策のみに関心のある人や、経済学のそもそもの素養のない人もいる。その常連の寄稿者の一人にLars Syllがある。個人のBlogのほとんどをReal-World Economics Review Blogに転載している。専門は経済学方法論・社会科学哲学という。しかし、実態はTony Lawsonのや乱暴な縮小版のようなもので、経済学の数学化や仮説演繹的モデル構築に反対する論陣を張っている。ここに紹介するのは、Lars Syllの2023年1月12日のEconomic modeling — a constructive critiqueに対する私の反論。

  • 2023.1.16 ローマ字部分が増えたら、文字が小さくて読みにくくなった。活字の大きさを変えることにした。

  • 2023.1.15 A Macroeconomics Reader (1997)のpatinkin論文のすぐ後にはBill GerrardのKeynes’s General Theory Interpreting the interpretations (Economic Journal 1991)が載っている。Gerrardは知らない人だが、解釈学の人らしい。"The significance of Keynesian economics depends on its ability to provide an understanding of how the economy actually works. The significance of Keynesian economics does not depend on being the economics of Keynes. What Keynes himself believed is a question for the historians of economic thought, not for macroeconomists."(p.106) ときわめてまともなことが注意されている。問題は、"an understanding of how the economy actually works"であろう。Gerrardの理解では"A principal aim of Keynesian economics has been to give a definitive answer to the question ‘What does Keynes’s General Theory really mean?’"(p.95)ということで、これでは"an understanding of how the economy actually works"と乖離してしまうが、「ケインズ経済学」の実情を伝えるものとは言える。そうなった根本の理由にPasinettiのいうparadigm changeの未実現があろう。コペルニクス(1473–1543、『天界の回転』は1543)の地動説のあと、ケプラー(1571–1630)、ニュートン(1642–1726、奇跡の2年間は1965-67)と120年以上かかった歴史とほぼ同じことを経済学もくりかえしているのだろう。

  • 2023.1.14 どういう風の吹き回しだったか忘れてしまったが、Don PatinkinのOn different interpretations of the General Theory (1990、A Macroeconomics Reader 1997 所収)を読んで、変なこと(=新しいこと)に気がついた。Patinkinの問いは、Keynesにはなぜこれほど多様な解釈があるのかというものだ。ほぼ同時代のHicksやSamuelsonの主著と比べれば、その違いは歴然としている。Patinkinの結論は、General Theoryがそれだけ大きな革命だったというものだった(そのことは別に考えたい)。その中で、fundamental uncertaintyに注目してケインズ革命を考えるという習慣は、General Theory出版後約四半世紀後の1960年代から始まったと指摘している。Sydney Weintraubの Classical Keynesianism, Monetary Theory, and the Price LevelとGeorge Shackleの展望論文‘Recent Theories Concerning the Nature and Role of Interest’とが1961年に現れ、Joan Robinsonの活躍もあって、IS-LMおよび45度線分析が衰え、代わりにuncertaintyがケインズ革命の中心に考えられるようになったらしい。こうした変化を背景とすると、Paul Davidsonなどアメリカ中心の(というよりReview of Post Keynesian Economics中心のか)Post Keynesian Economicsが成立し、それが過度にuncertaintyを強調するものになってしまったことがわかる気がする。Patinkin (1990)の簡単な紹介は、ここのJanuary 9, 2023 at 7:23 amのわたしの記事をみてください。

  • 2023.1.13 散歩していたら幸福実現党の政治ポスターが目に入った。なんと「勤勉革命」がその中に入っている。今年出すはずの本の題名を先取りされている。冗談ではないと思って帰ってWEBで調べてみたら、「バラマキやめて「勤勉革命」」が七大政策のひとつらしい。「勤勉革命」の内容は、「二宮尊徳の精神」とあって、私の本と無縁ではない。私の本が二番煎じになってしまうではないか。

  • 2023.1.12 HarcourtとKriesler編のThe Oxford Handbook of Post Keynesian Economics (1)を読んでいる。もちろん大部なもので全部は読めないが、Ken Coutts and Neville Normanの18. Post-Keynesian Approaches to Industrail Pricing : A Survery and CritiqueやRobert Dixon and Jan Toporowskiの20. Kelckian Economicsはとても良かった。特に後者からはKalecky派の概要がはじめてわかった気がした。Keynesとの違いとして指摘されていること(価格理論の存在、投資に対する長期金利の無効性)など、その後のPKでどのくらい生かされているのだろうか。

  • 2023.1.11 昨年12月のポストケイズ派経済学研究会の後の飲み会で経済学のあり方が問題になった。私が「真理に対する愛が足りない」と言ったら、ある人が「真理などというものはオーム真理教と同じで怪しげなものだ」と言った。確かに怪しげなところはあるが、しかし真理追求の意欲なしには経済学は進歩するだろうか。

  • 2023.1.10 歯医者に行ったら、またセラミックで補綴が必要となり、金37,400円の予告。

  • 2023.1.9 Keynesは自分の理論をtheory of output as a wholeと名付けたが、それを語る理論枠組みを持たなかった。その枠組みがなぜ半世紀以上現れなかったか、なぜそれが谷口・森岡の結果を待つ必要があったのか、その理由がわかった。

  • 2023.1.8 年末に買ったCANONのプリンタGM4030、PCとつなげようとしてみたら、Macに対応するDriverが存在せず、新しいPCから直接に印刷することは不可能なことがわかった。いくら特殊機種とはいえ、CANONさん、それはないだろう。

  • 2023.1.7 昨日買ってきた七草のセット、ひとつずつ調べる前に炊かれてしまった。

  • 2023.1.6 Kingはmicrofoundationsが原理的に不可能という立場。その理由として①downward causation、②fallacy of compositionの二つの存在をあげている。downward causationの証拠のひとつとして創発特性を上げるのだが、果たしてこの分類の立て方は適切だろうか。

  • 2023.1.5 J.E.KingのThe Microfoundations Delusionを読んでいる。前にイナゴ読み(grasshopper reading)をしたことはあるが、ほぼ通して読むのは初めて。元旦から5日間かけてようやくなんとか読み通した。表題が示すように、これはPost Keynesian経済学にmicrofoundationsを与えようとする我々の意図と正反対の立場の本だが、microfoudnationsをめぐる複雑で錯綜した立場の全体像をなんとか掴むことができた。

  • 2023.1.4 年賀状をいろいろいただいたが、整理している時間がない。なんとか松の内にやれればと思っている。

  • 2023.1.3 箱根駅伝は、往路・復路とも中央大学が2位。昨年は、久しぶりにシード権獲得と復活基調だったが、2位は予想外の大健闘。来年100回大会の優勝を目指す位置につくことができた。

  • 2023.1.2 今年は家に集まることをやめて渋谷のホテル・セルリアン内のレストランで会食。わたちしたち夫婦と長男、次男夫婦、長女と、今年長男と結婚予定の一人と計7人。

  • 2023.1.1 今年の年賀状を公開します。しばらくお待ちください。



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