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『経済セミナー』2005年2月号

「エコノミストの読書日記」8 連載95

市場経済を支える社会関係資本

塩沢由典(大阪市立大学創造都市研究科長)

         市場経済は、交換を原理としている。これは当然のことだ。しかし、この交換がいつもうまく働くとは限らない。AとBとを交換するより、AもBも取った方が、取った方にとっては良いだろう。力の強いものにとって、交換より略奪の方が少なくとも当面は有利である。

 任意の二人が出会うとき、力には優劣の差があるのが一般だから、力の強い方がすべてを取るという可能性がつねにある。交換に代えて、略奪を原理とする社会もありうる。略奪は、しかし、略奪者にとっても、かならずしも好ましいものではない。戦いには負ける可能性があり、勝っても負傷する可能性がある。もっと大きな問題は、略奪すべきものがなくなることである。略奪が一般的な世界では、最低限必要なものを除いて、人々はものを作ることを停止してしまう。略奪は、富を得る手っ取りばやい方法であるが、長期的には富自体を失ってしまう。

 交換は、2者の合意に基づく。この取引は自発的なものであるから、交換がうまく機能しているならば、人々はよりよい生活を求めて富の生産に励む。交換は、社会全体の富を増やし、個人が交換により入手できる富の可能性をも拡大する。交換を原理とする市場経済が、社会を豊かにさせる仕組みであることは歴史の事実によっても証明されている。

 交換は優れた社会制度であるが、それは裏切らないという取引者の自制を必要とする。取引者たちにはつねに裏切りの誘惑が存在するが、自発的に協力すれば互いの得るものはより大きい。市場経済の根底には、有名な「囚人のジレンマ」が存在するといってもよいだろう。では、世界の多くの国々で市場経済が成立しているのはなぜか。ふつうここで国家が登場する。国家が違反者を取り締まることで、公正な交換が保証される。そのかわり、人々は国家に税金を収める。市場経済と国家との共生がなりたつという訳である。

 大筋としてその通りであるが、市場経済は国家にのみ依存しているわけではない。国家が成立する以前から、交換は成立していたし、すべてに国家が介入していては、監視の費用が膨大なものとなってしまう。最終的には国家の強制に従うとしても、社会の構成員の相互の了解に基づき、自発に取引の公正さが確保されれば、その方が望ましい。「自発的な協力」がそれを可能にする。ただ、これは微妙な社会的文脈の中で成立する。協力が具体的に社会の習慣となるには、人々の知恵と長い歴史の経験とが必要である。

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 同一の言語を話し、同一の国家に所属しながら、イタリアの北と南とでは、社会における協力のあり方に大きな地域差がある。経済的には、これはいわゆる「南部問題」として顕在化しているが、社会的協力のあり方の差が民主主義のあり方や州政府の行政効率の差異にまではっきりと現れていることをロバート・パットナムは約20年間の調査研究から発見した。たとえば南では、政治家との接触は情実がらみで利益誘導的であるのに対し、北では一般的政策の要求が中心である。南では、行政に対する信頼が薄く、不満は大きく、効率は低い。政治は庇護主義的な色彩を帯びている。北では、行政は効率的であり、州政府に対する満足度も高い。

 こうした差異は、公共問題への関心と参加、自発的結社(社会団体)への参加の比率においても認められる。『哲学する民主主義』の前半においてパットナムは南北の地域差を見事に数量化してみせたあと、第5章と第6章において差異の起源とそれが持続する構造の解明に切り込んでいる。

 パットナムによれば、差異は12世紀にまでさかのぼりうる。南イタリアでは、ノルマン王朝以来、なんどか王朝は変化したが、封建的君主制を維持した。これに対し、北の諸都市には、コムーネ共和制とよばれる自治の形態が現れた。だが、中世にあっては、進んだ北と遅れた南の対比は成り立たない。一時期、シチリア王国は、ヨーロッパで最も富み、先進的で高度に組織された国家であった。18世紀までナポリはイタリア最大の都市でもあった。これに対し、北部イタリアは、14世紀の黒死病、15世紀から16世紀初めの外国勢力の侵略により、壊滅的な破壊を受けた。16世紀には、豊かな南部に惹かれて、北から南へ人口移動が起こり、新たな疫病も手伝って17世紀の北部と中部の諸都市は人口が半減する有様だった。

 コムーン共和制は、しかし、他に換えがたいものを残した。契約があらゆる生活局面で中心的なものとなり、公証人・法律家・裁判官が法の支配を保証するようになった。こうした社会を背景に、中世イタリアの共和国で信用制度が発明された。これは契約に対する信頼と法が公平に実施されるという信頼とを必要とした。信用制度の成立は、貨幣の発見や産業革命にも匹敵する大きな経済革命だった。18世紀後半以降、近代的経済が勃興しはじめると、北は南をしだいに引き離して発展するようになった。

 南北の差異は、進んだ経済が先進的な社会関係を可能にしているという関係を示唆するが、パットナムは、因果関係はむしろ逆だという。信頼に基づく社会関係が発達しているからこそ、経済が発展しえたのである。北で発達した協力関係がなぜ南では発達し得なかったのだろうか。パットナムは、この問題をゲームの理論を用いて説明しようとしている。協力は裏切らないという長い経験の蓄積の上にのみ成立する。それをパトナムは「社会資本」(social capital。ただし、社会資本では、社会基盤資本と誤解される可能性があり「社会関係資本」と訳されることが多い)という概念で押さえる。この概念は、J.ジェイゴブズがすでに使っており、パットナム固有のものではないが、市場経済の発展の基礎に社会資本の蓄積があることをパットナムは実在の社会を対象に見事に検証して見せた。

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 『イタリア社会的経済の地域展開』は、おなじイタリアを背景にした「社会的協同組合」の活動の紹介である。社会的協同組合は、イタリアの社会的連帯の伝統と運動の上に法制化されたもので、協同組合ではあるが、地域の普遍的な利益の追求という公共性をもち、ボランティア組合員を認めるといった特徴がある。障害者など社会的ハンディキャップを負う人人との共生への強い志向も見られる。著者の田中夏子は、それが「生きにくさ」分かち合うことで「人が大事にされる暮らし方・働き方」を教えるものだいう。田中はパットナムの「社会資本」(「社会的資本」という表現を用いている)という概念に懐疑的であるが、「社会に埋め込まれた市場」という問題意識は、パトナムの発見と矛盾するものではない。違いは、パトナムが、個人の絆を超えた大きな単位における社会を考察しているのに対し、田中は顔の見える単位を扱っている点にある。

 社会的経済というと、時に国家と市場に代替するものという捉え方があるが、一般的には市場経済の中で資本化支配・経営者支配によらない新しい経営を追求するものといえよう。イタリアの社会的協同組合の実験は、そうした試みにひとつの可能性を示している。政府の補助や受託に頼らないという独立精神旺盛な組合もあれば、ほぼ地方政府の補助に頼っているものもあるなど、実態はいろいろであるようだが、日本のNPOとの比較の上でも興味ある調査報告である。

[紹介した本]

ロバート・D・パトナム『哲学する民主主義』河田潤一訳、NTT出版、2001年3月。

田中夏子『イタリア社会的経済の地域展開』日本経済評論社、2004年10月。



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