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『学鐙』「私の古典・私と古典」
マルクス『資本論』

読みなおし・読みなおしの楽しさ

『学鐙』(丸善書評誌)105(2)、2008年夏号、22-25.

塩沢由典(京都大学経営管理大学院寄附講座教授)


マルクスと『資本論』、ともに有名すぎて、「私の古典」というにはちょっと気恥ずかしい。しかし、古典として読んできた本といえば、わたしにとってはなんといっても、マルクスの『資本論』であろう。

といっても、わたしが『資本論』の良い読者だなどというつもりはない。わたしの読み方は、『資本論』の専門家にいわせれば、失格ないし邪道そのものに違いない。まず第一に、第1巻であれ、第3巻であれ、わたしは『資本論』を通して読んだことがない。わたしの読み方といえば、まずは最後の索引から、なにがどこに書かれているか推測して、その前後を読むというものである。

経済学を専門にするようになり、マルクスについては、いろいろ議論させてもらった。それらをまとめて『マルクスの遺産』などという本まで出した。全20本の論稿のぞれぞれが直接・間接にマルクスに関係しており、そのたびに『資本論』は、ぱらぱらと読んできたから、とにかく部分的にも「ひもといた」回数は、わたしの読んできた本の中では抜群である。

しかし、このような読み方は商売上の読み方であって、けっして楽しんで読んできたとはいえない。わたしがマルクスを読んだのは、むしろ人が「どう読んだかを読む」という形であり、そのことは、仕事上の必要とは別に実に楽しいことであった。

もちろん、最初からそのような楽しい読み方が出来たわけではない。最初に『資本論』を読もうとしたのは、学部学生のころの「政治経済研究会」で、それが課題だったからである。1960年代半ばのその時代にあっては、『資本論』を読むときの正統の読み方は、ソ連科学アカデミー編(当時の表記では「ソ同盟科学院経済研究所」著だった」)の『経済学教科書』を通すものだった。文庫本で『資本論』を買い、おなじく文庫本の『経済学教科書』を買った。『資本論』は、最初から読みだしたが、序文だけでもかなりの種類とページがあり、途中で放り出した。

『経済学教科書』はもうすこし先まで読んだ。労働価値説が現代経済に成立するか、労働価値は価格と比例するかといった平凡な問題を熱心に議論した。ただ、当時、数学科の学生であったわたしは、『資本論』の論理構成よりは、弁証法的唯物論の方にずっと強い関心をもっていた。武谷三男の3段階論が科学方法論として力をもっていた時代であり、数学にも唯物論が適用可能かどうかなど、いろいろと考えた。当時の教科書的存在として武谷三男編の『自然科学概論』全3巻があったが、その中の数学に関する章は、これではどうにもならないと思わせるに十分なもので、大学生協の本屋さんでなんども手にとって読んでみたが、結局、買わなかった。

1970年にフランス政府給費留学生としてフランスに行き、一年後に数学から経済学に転向した。「大域の解析学」と勝手にわたしが名づけた分野を開拓しようという大それた野望を抱いていたが、限界を感じ、外国にいる気安さもあり、専門を変更した。なんの学部教育も受けずに経済学をやることになったので、アンリ・ドニの『経済学説史』を読み、その伝手でスラッファとアルチュセールとを読みはじめた。

アルチュセールの主著は『資本論を読む』で、これはアルチュセールと協力者たちが『資本論』をどう読んだかの報告であった。古典として読むとしても、教条的に読まなくてもよいということをこの本は教えてくれた。スラッファは、『資本論』の直接の解釈ではないが、リカードとマルクスの体系を現代に蘇らせるものであった。

日本に帰り、経済学者になってから読んで楽しかったのは、宇野弘蔵の『資本論五十年』である。ただ、全2巻1000ページ以上という大部のもので、毎日、すこしずつ読んで何カ月かかかった。弟子たちの質問に宇野が答えるという座談の記録で、宇野の書いた論文の簡潔さとは対照的に、気楽に読めるものだった。

座談の内容は、論文からはうかがえない宇野の持論が語られている。つねづね弟子たちに語っていたことらしいが、「田舎の鈍才」論とか、「わたしの南無阿弥陀仏」とか、経済学における「資金」概念の欠如など、なかなか穿った指摘がある。「田舎の鈍才」とは、簡単にいえば宇野自身のことであるが、田舎の鈍才のようにじっくり考える人間でなければ、学問の本格的な創造は出来ないという主張が込められている。これからの日本に必要なのは、頭の速い秀才でなく頭の強い秀才であるという西澤潤一の主張とも一脈通じている。

『資本論五十年』は、ゆっくり時間をかけて読んだが、あんな大部な本をなんども読むわけにはいかない。ながく書架に眠っていたが、最近、偶然の機会に再読することになった。昨年(2007年)、スラッファの主著について日本語278ページにも及ぶ注釈が現れたからである。

スラッファの主著『商品による商品の生産』は、英語の原著で本文わずか90数ページの小冊子であるが、著者の片桐幸雄はその3倍以上の解説を書いたのだった。著書を贈呈されたが、そのタイトルは『スラッファの謎を楽しむ』という意外なものだった。こういう読み方があるか。その意外な着眼に感心させられた。礼状を書いたらメールの往復が始まった(注1)。そのなかで、労働力の価値に関して宇野とスラッファを比較した(片桐のいう)「備忘録」があり、そこに『資本論五十年』の662ページの一文が引用されていた。「労働力商品の価値の規定はどうして決まるかというのはズッと後に明らかになったことです。」

この一文の解説を始めると長くなるが、要はマルクスの『資本論』の論理では労働力の価値は決められないというのが宇野が長い間かかって到達した結論であり、境地であった。今から考えると、これは宇野経済学の基本構造にかかわる論点であろうが、昔読んだときにはまったく読み落としていた。

片桐は労働力の価値(ないしは賃金率)が内生的に決まらないところに宇野のマルクス解釈とスラッファとの同型性があると指摘している。わたし自身は、スラッファもマルクスも深く読んだわけではないが、いろいろ考えた結果、市場経済には賃金率の前に利潤率が決められる機構があると考えている。それはスラッファのひとつの解釈でもある。その理由と機構に関する理解は異なるが、晩年の宇野がマルクスの書かなかった恐慌論によって労働力の価値が決まると考えたのと軌を一にするところがある。マルクスから流れ出た二つの流れが、ある偶然に合流したともいえる(注2)。

最近読んだものでは佐藤優の『私のマルクス』に感動した。佐藤は、わたしより17歳も若いが、佐藤たちが送った大学時代の雰囲気は身近なものであるし、マルクスに近づきながら、けっして距離を0にしない付き合い方は、わたしとマルクスの関係によくにている。もっとも、佐藤は無神論を徹底して考えるために神学部に入り、大学院ではチェコの神学者フロマートカと格闘したという本格的思想家であるのにたいし、わたしは経済学としてマルクスを読んでいるにすぎない。格闘と理解の深さにおいて、わたしなど、到底、佐藤の足元に及ばない。

佐藤優は、例の鈴木宗男事件に巻き込まれた「起訴休職外務事務官」であり、片桐幸雄は内閣府参事官にまでなりながら「左遷された」道路公団元官僚である。二人の思想は異なるだろうが、深く思索する官僚がいることをみると、日本の官僚は(すくなくとも一部は)世間に言われているほどやわではないし、思想的にも堕落していない気がする。

補注
(1)その一部は、ちきゅう座(http://chikyuza.net/)のスタディルームに公開されている。往復書簡の第二回分を見よ。
(2)宇野とスラッファが意外に近づいたという証拠もある。『資本論五十年』の744ページに次の発言がある。「商品によって商品を生産するとというのは、商品が基本になるということを示している。これはちょっといい点をつかむ言葉だと思っているんだけれども、この頃聞くとほかの人で言っているのもるそうだが、ぼく自身はほくが初めてだと思っているんだ。」




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