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シニアのたのしみ

塩沢由典

『年金時代』第31巻第6号(通巻448号)、2002年5月、8頁。

著者補注 この原稿は、ともと「シニアのたのしみ 二つ」と表題されていた。わたしの勘違いで、要請されたものより2倍も長いものを書いてしまい、編集者の手によって現在の形に縮小された。ベンチャー以外のもうひとつのたのしみは、「学問」である。定年後に本格的に学問をするというのも、高級なたのしみであろう。

気がついたら、わたしもあと4年ほどで定年である。月並みではあるが、月日の経つのは速い。この感覚が歳を取るほど加速されるのはなぜだろう。

それはともかく、定年を迎えてからの長い人生をどう生きるか、これは現代の人間共通の大きな問題ではないだろうか。かつては、「余生」という言葉があった。いま、定年後の長い人生を「余生」と捉えるのは、なにかそぐわない感じがある

。 シニアの人生を充実させるには、やはり「たのしみ」が必要だ。たのしみにはさまざまなものがある。カラオケもいいし、ダンスもいい。土いじりもいい。俳句や連歌なんていう手もある。わたしのひそかなねらいは「香道」である。いわゆる聞き香だ。嗅覚はもっとも原始的な感覚だから、そうした世界に入れたら、これまでの人生とまったく違う世界が見えてくるかもしれない。

ただ、いわゆる「老後のたのしみ」が多少とも余技的なのはどうしたものだろう。もうすこし「高級な」たのしみがあっていいとおもう。

 そこでシニアのたのしみの重要なジャンルとして、ベンチャーをあげたい。日本ベンチャー学会には、「シニア・ベンチャー部会」という分科会があり、100人を超えるメンバーが活発に活動している。わたしが会長をしている関西ベンチャー学会には、まだシニアベンチャー研究部会はないが、シニアの会員はたくさんいる。「ベンチャーをやってみる」というのも、たいへん「高級な」たのしみではないだろうか。

 定年後にベンチャーをやるというのは、非常によい環境条件である。経験が豊富で人脈もある。退職金を含めて、ある程度、まとまったお金ももっている。失敗しても、傷があさくてすむ。こんなよい条件をもった人は他にあまりいないのだから、定年後にベンチャーをやるのがもっとも現実的なのだ。

 ベンチャーといっても、いろいろな定義がある。狭い定義では、上場を目指して急成長をこころみる新規企業をいうが、シニアのたのしみとしては、もうすこし幅ひろく定義してもいいだろう。趣味を生かした小さなお店をやるのでもいいし、料理がすきなら小料理店を開いてもいい。もちろん、特許を生かした製造や、あたらしいビジネス・モデルの展開でもいい。

自分で事業をやってみると、会社勤めではできなかった新しい人のつながりができるし、成功させようと頭も使い、からだも使う。ぼけ防止にはもってこいである。

定年退職後のベンチャーで考えなければならないことは、再度のチャンスはないということである。これは二重の意味でいえる。

ひとつは、やるなら早くやらなければ、もう次の機会はないということだ。

もうひとつは、事業に失敗しても、もう次の事業を起ちあげて再起を期すことは難しいという意味である。

こうした事情を考えると、失敗しても、その後が困らない工夫だけはしておかねばならない。それができてさえいれば、ベンチャーに乗り出すのは、シニアにとって大きな挑戦であり、たのしみである。



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