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複雑系としての経済分析アプローチ

複雑系経済学の視点


人工知能セミナー 2004.1.30 早稲田大学

塩沢由典(大阪市立大学創造都市研究科)



概要: 従来の経済学では、全ての情報が瞬時に合理的に処理されるという効率的市場仮説を前提とする。しかし実際にはその仮説上で説明できない経済現象が存在する。複雑系経済学では経済活動を、個人と市場間の相互決定的な関係(ミクロ・マクロループ)として捉え、実現象を説明する新しい経済学を確立する試みである。それは、人工市場や経済物理など他のアプローチが寄って立つパラダイムを提供するともいえる。ここではその考え方と最新動向について解説する。


(1)MAMによる分析の歴史的意義

 コンピュータの進歩によって、大規模なマルティ・エージェント・モデル(MAM)が動かせるようになった。最近では、その画期的な意義を理解しなまま、「できる」というだけでMAMに取り組んでいる例もみられる。しかし、MAMによる経済分析は、これまでの方法の限界から経済学を解放する新しい可能性を秘めたものであり、その意義と可能性をただしく理解したうえで研究を進める必要がある。
 従来からの経済学の方法は、大きく二つに分けられる。ひとつは文学的な方法であり、古典経済学は主としてこの方法に基づいていた。これには、歴史的分析も含まれ、現在でも長期の研究には重要な方法である。もうひとつは数学的方法であり、新古典派経済学の主要な方法となった。詳しくは、これは数理経済学と統計学とに分かれるが、以下では数学的方法とは、主として数理経済学でもちいられる諸方法(微積分学、差分方程式、不動点定理、線型計画法、凸分析など)を意味する。
 新古典派経済学の主要な枠組みは、主体均衡と需給均衡とによって説明される。前者は、経済主体はある目的変数を制約条件のもとで最大化しているとする。後者は、市場では需要と供給とが一致するという仮定である。この枠組みに基づく数学的分析は、20世紀の中ごろ非常に発達し、厳密化された。角谷静雄により一般化された不動点定理を用いて、1950年代、一般競争均衡の存在が証明された。
 この理論枠組みは、経済のある側面を一定程度描写しているため、ながく経済学のもっとも重要な方法にとどまり続けている。しかし、人間の経済は、最大化と需給一致で説明しきるにはあまりにも複雑である。人間は、よりよい成果を求めているが、実質的な最大化は不可能である。人間は、視野・合理性・働きかけの3つの限界に規程された存在であり、その行動原理は、最大化とは異なる。
 人間の目的行動は、定型行動ないしプログラム行動と定式化することができる。これは高い多様性をもっており、どのプログラムを選択するかは、当人の抱く理論や仮説、創意や経験によって変わってくる。経済では、同一の時刻に異なる人間が異なる仮説によって行動することは普通のことである。しかし、数学的方法では、このような状況をあつかい分析することはほとんど不可能である。これに対し、MAMでは、多くの人間が異なる仮説と行動プログラムをもって取引する状況が容易に分析される。この分析は、コンピュータによる膨大な逐次計算として始めて実現できるものであり、数学的な方法では、時間的に一定な状態といった特殊な状況のみに分析が限定される。ほとんどの経済学が均衡状態の分析にとどまっているのはこのためである。これが現在、経済学の桎梏となっている。MAMによる経済過程の研究は、経済学の歴史に第3の方法をもたらす意義を持っている。

(2)経済行動の実装と遺伝的アルゴリズム

 人間の目的行動の多くは、定型行動ないしプログラム行動と定式化することができる。これは、ひとつの環境=行為パタンであり、その原型は、qSS'q'という4つ組にある。自己が内部状態qにあるとき、外部状態を観察し、それが状態Sであれば、外界をS'とするよう働きかけ、自己の状態をq'とする。これらを系列として組み合わせると、プログラムができる。このような行動は、コンピュータ内のプログラムとして容易に実現できる。計算可能なすべての関数は、じつは、このような操作の集合で表現することができる。定型行動は、その要素は単純であるが、チューリング機械と同様の広い適応可能性をもっている。
 クラシファイア・システムは、qSS'q'という4つ組みにおいて、すべてのq、q'が同じである状況に注目したものである。このとき、行動は、SS'と簡単化される。もし、S、S'が01列でコード化されるなら、これはある01列を他の01列に変換することにほかならない。これが特殊な行動型であることは確かだが、遺伝的アルゴリズムに組み込めるという大きな利点をもっている。
 遺伝的アルゴリズムは、工学的な観点からも注目されているが、経済学におけるその高い意義を強調しなければならない。人間の行動は、ある種の定型行動として捉えられるが、一定不変のものではない。新しい定型が次々と生み出される。たとえば、それは世界に関する新しい仮説に基づいて発想される。
 これまで、経済学は、技術の世界をのぞき、人間の知識(つまり世界に関する仮説の体系)が行動を変えるという側面をほぼ完全に無視してきた。しかし、金融市場における人間行動は、目的変数の最大化といった計算とはまったくことなる心理に基づいて行なわれ選択されている。
 たとえば、株式市場においては、テクニカル分析(実質は罫線分析・チャート分析と同じ)による売買が広く行なわれている。弱い効率市場仮説によれば、テクニカル分析により、長期に平均的には一般指数以上に儲けることはできない。このことはひろく知られた事実であり、統計的な裏づけもある。それにもかかわらず、多くの取引者がある種のテクニカル分析にたよるのは、それ以外に自らの決断をみちびくものがないからである。これは、ルーレットにおいて、次にどう賭けるか考えるとき、過去のパタンに引きづられるのと同じである。完全なルーレットであれば、過去の出来事は、次に出る数字とまったく独立である。このことを知っていながら、われわれは「赤が続いたから、今度は黒」といった思考をする。これは、人間の思考能力の進化において、よりよい定型行動を選びだすことが長くもっとも重要な要件であったことの名残りであろう。
 ファンダメンタル分析とよばれるものも、本質には大差がない。たとえば、オプション市場において行動するのに、ブラック=ショールズ式のような高度な理論により価格を計算するとしても、結果的には、これは現在価格や利子率、ボラティリティなどを与件として、価格を推定する定型行動となっている。半ば強い効率市場仮説によれば、こうした計算によっても、(裁定の機会がある場合を除いては)長期・平均的には儲けることはできない。しかし、プラック=ショールズ式が無視できない参照基準であることは間違いない。
 金融市場は、つねに変動している。しかも、それはあらゆる情報を織り込み済みのものである。このとき、理由はともあれ、なんらかの定型が選ばれ、それらが実際の取引によって検証される。これは、現在のところ遺伝的アルゴリズムの世界としてのみ再現できるものである。学習や知識が経済においてどのような役割を担っているか、このような枠組みにおいてのみ適切に組み込むことができる。

(3)仮説と市場のミクロ・マクロ・ループ

 市場に参加する個人は、さまざまな市場に関する仮説・理論をもっている。これらの総体が知識であるが、この知識は行動を規程する大きな要因である。このことから、市場参加者の市場に関する仮説が市場過程そのものに影響するという現象が生ずる。
 分かりやすい例は、ゴールデン・クロスと呼ばれる売買法である。ゴールデン・クロスは、短期の平均曲線が長期の平均曲線が下から上によぎった点と定義される。このクロスが観察されるとき、株価は下落から反転して中期的な上昇局面に入るとされる。もしこの仮説を信ずる人が多ければ、ゴールデン・クロスが観察されるとき、多くの人が買い注文に走り、株価は実際に上昇することになる。経済には、こうした逸脱増幅機構がさまざな場面に隠されており、価格の乱高下から景気変動までも引き起こしている。
 インターネットが普及し、パソコンにより株の売買ができるようになったとき、デイトレーダという種族が出現した。その必勝法と呼ばれるもののひとつに、一日の始めに、板寄せ価格にプラス1パーセントで売り注文、マイナス1パーセントで買い注文を出すというものがあった。株価は、一日でかなり上下する。もし、買い注文・売り注文の双方が成約するならば、手数料を1パーセント支払っても、1パーセント儲けることができる。このような取引法は、一日の価格の変動幅がほとんどつねに2パーセントを超えていることを前提としている。インターネット売買以外の取引が大きく、かつその手数料が往復5パーセント以上もあったときには、これは実際に儲かる方法でありえた。しかし、この売買手法が普及すると、株価の変動自体に変化が生ずる。この手法による注文が増えると、株価の変動幅を2パーセント以内に抑える力が働くからである。もちろん、外的情報によっても株価は変動するので、株価の変動は、狭い幅の中で上下する時間帯と急に階段状に変化する時間帯とに分離することになる。このように、仮説と市場と間にはミクロ・マクロ・ループと呼ばれる相互関係が存在する。
 金融市場は、価格変動が激しい市場であり、小さな価格差をも利用して儲けることができる。そこにさまざまな思惑が働く。ときには確実な裁定の機会も生ずるが、それは希であり、かつ短い時間のあいだ継続するにすぎない。効率市場仮説は、このような一般論としては重要な理論であるが、金融市場の価格変動を説明する理論ではありえない。人間の心理をも織り込んだ市場過程を擬似的にも再現し、研究していかなければならない。それが人工市場である。
 人工市場については、和泉潔氏の講演が予定されているので、詳しくは触れない。総括的にいえば、効率市場仮説は裁定行動がすべて尽くされた状況を想定しているが、現実はかならずしもそうした状態にあるとは限らない。道に1万円札が落ちているのは希である。見つけた人は拾うであろう。しかし、このことは、道に1万円札が落ちていない証明にはならない。効率市場仮説は、言ってみれば、道には1万円札は落ちていないという主張である。しかし、われわれは一万円札が落ちている場合をも視野にいれなければならない。
 金融市場の研究において重要なことは、さまざまな意味での裁定機会が汲み尽くされていく過程にある。新しい機会はつねに生ずるので、これは終わることのない過程である。効率市場仮説は、これを長期平均の目で捉えているにすぎない。

(4)U−Martの紹介

 「U−Mart」は、毎日新聞社が発表している株価指数J30の仮想先物市場である。コンピュータの力を借りて、株価指数による先物市場を作り上げ、それを実験的に運営している。証券会社のやっている仮想取引では、参加者がどういう売買をしようと価格には跳ね返えらない。U−Martの先物価格は市場への参加者の行動によって変化する。このことを使って、さまざまな経済実験を行なっている。
 U−Martは、決済やセキュリティを除けば、現実の市場とほとんど替わるところはない。しかし、それはコンピュータ上に設定された市場であるので、少ない人間と短い時間で、市場を成立させ、60日間の取引を完了させることができるという利点がある。U−Martは、人間エージェントと機械エージェントが対等の立場で参加できるという特色ももっている。この意義と現状についての紹介は、研究グループの好意により、既成のプリゼンテーション資料を用いて行なう。




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