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実験哲学カフェ

 主宰者による発足当初の趣旨説明

扇町ミュージアムスクエア 山納 洋 : http://ugpc.hp.infoseek.co.jp/cgi-bin/yuuboo/kissa2/kissa2.cgi http://mentai.peko.2ch.net/philo/kako/978/978701347.html http://www.eleutheria.com/philosophia/data/1771.html http://www.ichigobbs.net/cgi/15bbs/philosophy/0012/L20 などより すみません。宣伝させてください。

参加者交流型トークサロン 扇町Talkin’About企画

「実験哲学カフェ 〜日本で哲学カフェは成立するか?〜」

Vol.1 堕落するとはどういうことか?
1/10(水)19:30〜 at Jaipur (インド料理)
大阪市北区天神橋4-7-11 グリフォンビル3F 06-6352-1704

扇町Talkin'Aboutは、決められたテーマについて参加者自身が語り合う、参加者交流型のトークサロン企画です。扇町ミュージアムスクエアを中心に、近隣のカフェ、Barを巻き込んで展開しています。
今回の「実験哲学カフェ」は、フランスで盛んに行われている「哲学カフェ」が日本でも成立するのか?という「実験」として開催いたします。
専門的な哲学史や哲学者の話をするというよりは、個々に持っている知識や経験をもとに哲学的な話し合いをする、という感じに持っていこうと思っています。
ぜひ気軽にお越し下さい。 (1月5日)


労働と幸福〜なぜ働くのですか?〜

本河 +[URL]+ ..2002/08/29(木) 23:27 No.28
7月のシンポジウムに参加させていただきました
本河といいます.宜しくお願いします.
トークカフェイベントの紹介なんですけど,いいでしょうか...

日時:9月23日(月・祝) 15:00〜
会場:SALON de AManTO (天人)
テーマ:「労働と幸福〜なぜ働くのですか?〜」
参加費:無料(最低ワンドリンク注文お願いします)

今回,「幸福」について1週間連続で行う,
「実験哲学カフェ」の特別企画の3日目の企画です.

「実験哲学カフェ」では今までに環境問題から男女の話,死生観から食べ物の話まで,さまざまなテーマでさまざまな人々にお話ししていただきました.
この場では,いわゆる哲学の知識や教養は必要ありません.持てる「感性」と「想像力」と「理性」のおよぶところ,あなたがあなただからできる話を聞かせてください.

フリーターの方も,そうでない方も,いろんな立場の人たちが参加し,発言していただけたら幸いです.ぜひぜひご参加ください♪

詳しくは,http://www.oms.gr.jp/tabout/ を参照ください.
ちなみに天人は,7月のシンポジウムでパネリストだったJUNさんのお店です.
天人のサイト:http://www.yura-ism.com/amanto/


実験哲学カフェ Vol.31 本河 - 投稿日時:2002年08月29日 22時21分30秒 http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/8664/@geoboard/160.html 大阪市北区扇町界隈で行っている 「扇町Talkin'About」の実験哲学カフェからのご案内です. 扇町Talkin'Aboutは,あるテーマについて集まった人たちが 語り合う参加者交流型のトークカフェ企画です. 「実験哲学カフェ」では今までに環境問題から男女の話, 死生観から食べ物の話まで,さまざまなテーマで さまざまな人々にお話ししていただきました. 「実験哲学カフェ」には,いわゆる哲学の知識や教養は必要ありません. 持てる「感性」と「想像力」と「理性」のおよぶところ, あなたがあなただからできる話を聞かせてください. *** 日時:9月11日(水) 19:30〜 会場:SALON de AManTO (天人) テーマ:対話で平和を築くことは可能か?〜米多発テロ一年〜 ※天人のサイト http://www.yura-ism.com/amanto/ *** 参加費は無料. 但し,会場となっているお店で最低ドリンク一杯は注文願います. 詳細な情報および問合せは以下まで. E-mail:meta-cafe@mail.goo.ne.jp (本河) URL:http://www.oms.gr.jp/tabout/ (扇町Talkin'About) http://www.oms.gr.jp/tabout/ 2002/10/5 (Sat) 13:29 塩沢由典
SUBJECT: 「実験哲学カフェ」体験1

初めて「実験哲学カフェ」に参加したのは、9月11日。テーマは、「対話で平和を築くことは可能か」でした。「哲学カフェ」というものがどのように運営されているのか、どんな人が集まっているのか、それが主な関心で、主題についてはあまり考えていませんでした。参加者は、昔のことばでいえば、「老中青の三結合」、職業的にもいろいろな人がいました。
 話自体は、あまり深まりがなかったかもしれません。最後に司会者の本河さんが「今日の話は暴力的だったとおもいますか」という質問をみんなに出しました。ほんどの方は、「暴力的ではなかった」と答えていましたが、わたしは質問の意味がよくつかめず、パスしました。穏やかに話していても、知識の違いや論理の組み立てのうまさなどによって、一方が他方に優越してしまうことがある。そうしたことも「暴力的」だとするなら、対話も暴力的かもしれないと、ふと考えました。


特別企画「実験哲学カフェの『幸福論!』〜ソクラテスは眠らない〜」

以下のとおり,明日から8回連続の特別企画を行います.哲学初心者の方も,気軽にご参加ください.2002/9/20 (Fri) 16:24 本河

●No.1 「社会の幸福〜社会のみんなが幸福になることは可能でしょうか?〜」
9月21日(土) 15:00〜 @ saloon REPAIR

●No.2 「哲学デートin京都〜京都を歩きながら幸福についてお喋りしましょう〜」
9月22日(日) 12:00〜 @ OMS(扇町ミュージアムスクウェア)前集合
※ツアー企画

●No.3 「労働と幸福〜なぜ働くのですか?〜」
9月23日(月・祝) 15:00〜 @ SALON de AManTO (天人)
※天人のサイト Link

●No.4 「ahaha扇町・笑いのカフェ(笑)実験哲学カフェ〜笑う門に幸福は来たか?〜」
9月24日(火) 19:30〜 @ RAIN DOGS
※コラボ企画

●No.5 「ヒットチャートの幸福論〜状況論から幸福論へ〜」
9月25日(水) 19:30〜 @ 坊主バー
※坊主バーのサイト Link

●No.6 「グループカウンセリング幸福論〜あなたの幸福は何ですか?〜」
9月26日(木) 19:30〜 @ SALON de AManTO (天人)
※天人のサイト Link

●No.7 「人の不幸はどんな味がしますか?〜比べられる幸福・比べられない幸福〜」
9月27日(金) 19:30〜 @ Jaipur

●No.8 「ソクラテスは眠らないExklaven〜幸福の辺縁であなたは何を思いますか?〜」
9月29日(日) 19:47〜 @ Common Bar SINGLES
※SINGLESのサイト Link


特別企画「社会の幸福」趣旨説明とお礼

2002/9/24 (Tue) 10:11 本河

SUBJECT: 特別企画No.1の感想

今回のテーマは「社会の幸福」ということでしたが、本当は「交換」や「循環」というキーワードも盛り込んで、例えば「ペイ・フォワード」(映画)や「わらしべ長者」や「情けは人のためならず」といったものを、マクロな視点から”幸福感”のダイナミクスやメカニズムについて考えらたらなあ〜と思ってたんですが、
当日は幸福追求権と政治の絡みから、「民意」や「民主主義」といった話題に終始させてしまい、司会者としてちょっと反省してます。
ただ、そういった公民の教科書に載っているような概念を、動的なものとして改めて考えてみたいなとは前々から思っていたので、個人的には満足しているのですが、参加者の皆さんは果たして…???

ちなみに、なぜ私が動的なものに興味があるかと言うと、まあ物理屋としての興味というのもあるのですが、例えば自死(自殺)をする人の心情を考えてみたとき、「今も不幸。そして今後も不幸が続くだろう。」というのがあると思うんですよね。だから、たとえ今が不幸だとしても、「未来においては幸福になれるだろう」と思える社会であれば自死って少ないのではないかと思ってます。
そういうモチベーションもあって、空間的にも時間的にも視点を広げて幸福について考えてみたかったのですが、司会者の力量不足でした。すみません。

最後になりましたが、三連休の初日のまっ昼間に、14人もの方に参加して頂き、ありがとうございました。

2002/10/8 (Tue) 22:54 本河
 
SUBJECT: いろいろご意見ありがとうございます。

「幸福論」について、いろいろご意見ありがとうございます。特別企画のすべての回に出席した人は(司会者も含めて)一人もいなかったようで、私も4回しか参加できませんでした。一週間ぶっ通しで行なった今回の“実験”は、なかなか辛いものがありました…。まあ、通常の水曜日以外にも行ったことによって得られたものもありますが。

さて、明日からは通常の実験哲学カフェに戻ります。明日は「客観的評価と数値化」。“評価とは何か?”“客観的な評価とは?”“数値化(点数化)して表すってどういうこと?”といったことを考えてみようと思います。具体的な体験談がありましたら、お聞かせ下さい。また、後半は「個性」を例に、“個性を(客観的に)評価する”ことについても考えてみようかと思います。

2002/9/24 (Tue) 19:40 西原
SUBJECT: re:特別企画No.1の感想

>ちなみに、なぜ私が動的なものに興味
>があるかと言うと、まあ物理屋として
>の興味というのもあるのですが、

おぉっと、非常に興味深い話ですね。
丁度、動的情報の話の本を読んで、私のサイトに感想書いたところでして興味津々です。
このあたりの話のサロン行きたいので、お話聞かせて下さい。

2002/9/26 (Thu) 17:25 中田敬史
SUBJECT: 辛+一=幸
特別企画「実験哲学カフェの『幸福論!』〜ソクラテスは眠らない〜」 協力者、司会者の皆様、ご苦労様です。また参加していただいたお客様ありがとうございます。いよいよ最終日が近づいてきました。「幸福」は各人にとってもおよそ根源的な事柄であると同時に百人百様 多様性に満ちています。毎回困難なテーマにも関わらず、そこそこの盛り上がりをみせています。さて明日の「人の不幸はどんな味がしますか?〜くらべられる幸福 くらべられない幸福〜」では人間が人間であるところの所以、倫理的な問題に触れてみたいと思います。敵対する他者の不幸、協力する他者の幸福、それらは他者にとっての他者であるところの自分の幸福でしょうか?他者との関連においてよりリアルに立ち上がってくる「幸福」。いかがでしょう?皆様の考えを聞かせてください。


2002/10/5 (Sat) 15:00 塩沢由典
SUBJECT: 「実験哲学カフェ」体験2

この日のテーマは「社会の幸福/社会のみんなが幸福になることは可能でしょうか」。場所はSaloon de Repair、OMSの1階でした。
 じつは、この日は「実験哲学カフェ」が連続8日間、毎日開かれるという特別企画の第1日目。いったい、どんなことになるのか、期待半分・危惧半分で参加しましたが、規模も11人ぐらい、一応、参加者みなが話せる規模でした。
 提案者の本河さんは「社会」の方に重みをおきたかったようでしたが、話の大半は「幸福とはなにか」に集中しました。そうですよね。みな不幸はいやだし、幸福になりたいと思っていても、どういう状態が幸福かと問われるとなかなかこれって答えられません。
 話の中では言いませんでしたが、昔、こんな論文を読んだことがあります。世界のいろいろな民族の神話を調べてみてもも、天国についての記述は平板であまり個性がない。明るくてのどかで、ものが豊かで、たえなる音楽が聞こえる。だいたいそれだけのイメージ。しかし、地獄についての記述は、ひとつの民族でも実に多様でしかもそれぞれが具体的だ、というのです。たしかに、地獄には針の山や地の池や火の海や、バライエティがあります。天国よりも地獄の方がひとびとの想像力をかきたてるのでしょう。「地獄の変容」という表題で『ジオゲネス』の日本語版の初期に翻訳したことがあり、覚えています。作者は、たぶん、Rojer Cailloisでした。
 これを人間の「幸福」と「不幸」に類比してみると、不幸は具体的で多様なのに、幸福はなかなか具体的に捉えられないということかもしれません。
 幸福を直接測ることはできなくても、Maslowの欲求の5段階説でいえば、自分はどの程度まで幸福かは知ることができます。ウェブで調べてみると、5段階とは@生理的欲求A安全の欲求B親和の欲求C自我の欲求、D自己実現の欲求だそうです。
 もちろん、「自己実現」といった表現そのものに、キリスト教的な個人主義の考えが入っているかもしれません。仏教では、個人の至福は自己実現ではないかもしれませんよね。そういう根本的なことは留保して、マズローの5段階は一応の尺度にはなるでしょう。
 わたしの言いたかったのは、次の二つです。
 ひとつは、社会が保障できる幸福の段階は、せいぜい@の生理的欲求とAの安全の欲求に関係する水準のことで、それを超えて社会が個人のより高い段階の幸福を助けることはできないし、介入すべきではないのではないか、ということです。経済学でも、ときに幸福ということが問題になります。しかし、それは食べたり着たりする範囲での欲求を高めることができるというこでしょう。お金がたくさんあれば、多少の尊敬を集めるこもできますが、それが本当に求めている尊敬かというと疑問がのこります。安全については、すでに経済というより政治の問題でしょうが、ある程度経済的にうまくいっていることは暴動や戦争の確率を小さくする意味で関係しているといえるでしょう。それ以上は、「社会の幸福」として取り組むべき問題かどうかまで、まずはじゅうぶん考えなければなりません。
 もうひとつは、このように低いレベルの幸福に関係したことではあるけれども、相互の合意のもとで取引を行う社会(市場社会)がいかに重要な人類の知恵であるかということです。討論は、社会科学の意義について話す場ではないと理解していましたので、これは言いませんでしたが、アフガンやソマリアの部族闘争などを見ていると、そう強く思われてきます。けっきょく、現在の勢力拡大や損得のために、平和な取引も不可能になってしまうと、経済発展はほとんど不可能になってしまうということでしょう。
 このあたり、他の参加者のみなさんはどう考えられていたのでしょう。

(注)Bの「親和の欲求]ではよく分かりませんね。英語で調べてみると、次のようになっていました。
the Hierarchy of Human Needs
1. Physiological Needs
2. Saftey Needs
3. Belongingness and Love Needs
4. Esteem Needs
5. Self-actualization Needs

2002/10/7 (Mon) 09:22 OMS 山納 洋
SUBJECT: 所属と愛の欲求

 さて、僕自身は「体験2」の「社会の幸福」のみ参加いたしました。
 確かに生理的欲求と安全の欲求がある程度満たされた状態にあって、そこから先の多様化する各人の欲求に応えることは難しいことなんでしょうね。
 ある主の幸福は、すべての人が享受できない性質のものでしょうし(希望の就職先に入るとか)、肥大しすぎた欲求が満たされない状態も「不幸」なのかも知れないし、またゴミ処理場や原発のように、現在社会を維持していくために必要とされている機能を引き受ける「不幸」という問題もあるでしょう。
 本河さんはこうした問題の解決主体としての「政治」の可能性を考えてみたい、という意向でしたが、僕自身は基本的に「政治」のシステムを機能不全にしてしまう、システムを担う個々人のモチベーションのずれ、ということがとても気になります。それが低いレベルの幸福すら満たすことができなくなる世界の状況を見ていると、争わずに問題を解決するという、人間の持つ叡智をいかに発揮するのか、そこをよく考えておく必要を感じます(市場社会が解決主体となり得るかどうかについては、僕自身はいくらか留保があるのですが・・・)。

 「幸福論」の最終回「幸福の辺縁」に途中まで参加したときにこんなことを思いました。
 現在の日本においても生理的欲求と安全の欲求が脅かされる可能性(犯罪・交通事故・医療ミスetc.)は十分にあって、そこに巻き込まれてしまった立場からすれば幸福の希求は切実な問題となるが、脅かされていない立場にはその切実さは共有できない。多様化によって「幸福」のイメージを共有することが難しい、という問題だけでなく、誰もが常に巻き込まれる可能性がある、ということを想定できていないことが今「幸福論」について語ることの難しさにつながっているのではないだろうか・・・

2002/10/7 (Mon) 22:27 塩沢由典
SUBJECT: 市場社会と問題解決
山納洋さま
 わたしも市場社会が多くの問題の解決手段になるとは考えていません。マズローの5段階説で言えば、やはり最初の2段階程度まででしょう。その2段階までも、なかなかたどりつけない国があるとことを読むと、暗然たる思いです。今日も、新聞(朝日新聞、10月7日朝刊)にアフガンの特集記事があり、部族対立のことも出ていました。

 市場経済が成立する社会に人類がたどりつくのもなかなか大変なのだなという意味で、「市場社会は重要な人類の知恵」といったのです。


2002/10/5 (Sat) 15:58
塩沢由典
 
SUBJECT: 「実験哲学カフェ」体験3

9月23日の哲学カフェにも参加しました。特別企画の第3日目。わたしにとっても第3回目の哲学カフェでした。この企画は、第1日と第3日だけ出席。ちょうど9月27日書き込みの小島さんとおなじパタンの参加でした。
 さて、当日のテーマは「労働と幸福/なぜ働くのですか」。提案者の粂さんは、まだ本格的に会社などに勤務したことがなく、就職試験もいやだなと考えているようでした。で、みなになぜそんなに働くのと問いかけたのだと理解しました。(浅薄な理解になっていたらごめんなさい。)
 会社に就職して猛烈に働くだけが仕事ではない。自営業も仕事だし、そこには満たさなければならない条件もあり、きつい労働になることもあるが、すくなくとも自分の判断で仕事を取らないこともできる。仕事=労働と、あまりにワン・パタンに捉えているのではないか。話あいでは、こういう話がたくさんでました。
 京都からわざわざこの哲学カフェに参加してこられたアート・コーディネータの方もいて、哲学カフェの吸引力はすごいなとおもいました。
 自分はほんとはアートそれ自体をやりたいのだけれど、いまは主にはデザイナーたちのコーディネータ的な仕事をやっている。自分のやりたいことが職業になれば一番いいが、いまはそれに近いところで働いている。そういうことができていいねという人もいるければとも、内心はすごく複雑だという発言がありました。仕事と幸福ということを考えるには、これはとてもいい事例だとおもいました。
 中田さんは、自分の仕事の一部は肉体労働だけど、なにをどう積むかには工夫もあり、一部は芸術的な仕事だとも思って働いているとの発言がありました。別の参加者からは、ビルの掃除のような定型的な仕事でも、工夫をすればいろいろやることがある。自分で目標を決めてやってみれば、今月はこんなことができたととても楽しいという発言もありました。
 哲学カフェで、あまり経済学の知識を持ち出すのはよくないのでしょうが、社会の大きな流れについて、人よりむ多少余分な知識を持っていることがあります。そういう知識も、ときには自分の中の常識を考えなおす手立てになることがあるのではないでしょうか。わたしが指摘したかったのは、「会社に働く」ということ自体が100年かそこらの常識だということでした。
 20世紀は、人類の歴史からみると特異的に「大企業の時代」でした。しかし、19世紀の半ばまでさかのぼると、100人を超える企業は珍しい。多くのひとは家内工業といった形ではたらいていました。もちろん、たった100年といってもこれからずっと続くのであれば、それはかならず考慮にいれなければならない事実となります。しかし、21世紀が20世紀の延長線上にあるかどうか、これはかなり難しい判断です。私は予測屋ではありませんし、こんな予測の確実性は、あまり高いとはいえません。しかし、いくつかの傾向とその背後にあるであろう論理をかんがえてみると、21世紀の社会は、全部と言わなくても、かなりの活動が個人ないし個人を取り巻く数人でできるようになる可能性があります。
 企業がなぜ生まれるのかについては、いろいろな説明がありますが、Coaseという人(ノーベル経済学賞をもらいました)が、企業は取引費用を節約するために生まれるという説明をしています。この説明には、わたし自身はいくらか留保があります。しかし、こういう機制が働いて企業が生れるとすれば、情報通信革命は、その基礎にある費用構造を大きく変え、小さな企業体が大きな企業に伍して仕事をすることができる領域が広がってきたといえます。
 そうとすれば、これからの労働あるいは仕事について考えようとするとき、これまでどおりの「会社に働く」というイメージから抜け出して、独立自営という働き方について考えてみることが重要になってくるでしょう。そうなるとアート・コーディネータの方の「悩み」のようなものがだんだん典型的な問題になると考えられます。自分の天職だとおもうことで社会の評価が期待どうりに得られなかったとき、人間はどのように生きていくべきか。答えはないでしょうが、多くの人がぶつかる人生の難問でしょう。


実験哲学カフェVol.41「からだを売ってはいけませんか」

2002/11/8 (Fri) 23:25
クボ
さる11月6日ジャイプールにおける実験哲学カフェVol.41「からだを売ってはいけませんか」無事終了しました。
来ていただいたみなさん有難うございました&お疲れ様でした。
司会もいれて13人ほどの意外な盛況。
話題もインディアンからのび太君まで
多彩で充実していたように思えます。

臓器移植にまつわる経済格差の問題からクローン人間以後のSF的世界の受容の
可能性。「からだ」「経済」「家族」「社会」「倫理」そして「自然な死」とはなにか?

やはり今、生命や身体についての問題は非常に複雑化し拡散しつつも、私たちの生の根底をがっしりと掴んで離さない大きな力を持っている、ように感じられました。

一方で話が「臓器」に関するものばかりになってしまい、売春や整形について語ることができず、これらに興味を持って来られた方には申し訳ありませんでした。

ただ臓器にしても売春などにしても、まだまだ考えるべきことは多いように思われます。ひょっとすると続編もありうるかもしれません。



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